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 裸になること


 
                  (故人)新阿武山病院理事長 今道裕之(全断連顧問)  
  

『人には誰でも防衛本能が備わっている、生きていくうえで防衛は不可欠であるが、アルコール
 
症患者に多く見られる防衛は「否認」という形をとり、むしろ逆に病を進行、悪化させる』
 
                                     (今道先生)
 


 人には誰でも、防衛本能が備わっています。
 
突然頭上から落ちてくる石に気づいたとき、本能的に逃れてわが身を守ろうとします。
 
暖かい屋内から、急に木枯らしの吹く戸外に出たとき、私たちは自然に身をすくめ、背を丸くして、できるだけ冷たい外気が肌に触れないようにして身を守ります。
 
このように、防衛本能は行動面に現れたり、自律神経の働きを活発にしたりしますが、それは、私たちの心の中でも重要な働きをしています。
 

 ある大学の医学部の内科教授であった先生が、胃癌に犯されたときの話を伝え聞いたことがあります。
 
その先生は、自覚症状や病気の経過だけからでも、自分の癌に気づかれないはずはなく、それだけの診断能力は十分持っている人だったのですが、ご本人は、担当医や家族が最後までいい続けた病名、すなわち胃潰瘍だと信じ込んでおられたということです。
 
もちろん、あるいは癌であることを知っておられたが、周囲の人たちへの心遣いから、気づかないふりをしておられたのかもしれません。
 
しかし、全体の状況から判断して、側近の人たちが見たところ、どう考えてもその先生は、やはり最後までご自分の病気に気づいておられなかった、としか思えなかったということです。
 
これは、死に直面する状況におかれると、人はいかに強い心理的防衛を働かせるかという実例だといえましょう。
 

 「防衛」は、死の恐怖や不安を前にしたとき、最もはっきりした形をとって現れてきますが、たんに死だけではなく、生に対するネガティブな感覚が生じた時にも、よく現れてきます。
 
孤独、心の弱さ、劣等感、絶望、自責感、病気、失恋―。
 
これらの、その人にとって苦しい、認めたくない感情や感覚に出合った時、心の中の一方では、それらを感じる以前に、あるいは生じてきた感情を「防衛」によって打ち消していこうとします。

 

 防衛は本来、人間が生きていく上において、欠かせないものです。
 
冬になれば沢山の衣類を着込んで暖をを求め、夏には衣類を脱ぎ捨て裸になって水と戯れるように―。
 

 しかし、見方を変えれば、防衛は現実から目をそらし、現実から逃げることでもあります。
 
たとえば、現代人の多くが、刹那的な享楽に身を沈めて日々をすごしている現象を、死や病に対する過度の防衛とみることもできましょう。
 
悔いなく生きる、といえば格好は良いが、その実、内心は空虚で充たされるものがないため、それから逃れるためにさらに刹那的な享楽に身を沈めていく。
 
酒に溺れているときの酒害者の姿も、本質的には同じ性質のものではないでしょうか。
 
「酒を飲んで死んだら本望だ」と突っ張ってはいますが、数時間も膝を交えて話していると、「本当は酒をやめたい、やめて生きなおしたい、もう今までのような無意味な生き方はしたくない」という本心が、涙とともに溢れ出てきます。
 
本来、人間が生きていくためにこそ必要な防衛が、一つ歯車が狂いはじめ異常な心理状態になると、むしろ死に向かって走らせていく逆の方向の防衛に変わってしまいます。
 

 異常な心理状態から脱出するには、この異常性を防衛している心理的メカニズムから切り崩しにかからねばなりません。
 
アルコール症患者にもっとも多くみられる防衛は「否認」という形をとります。
 
それはひと言で言えば、自らがアルコール症者であることを認めていないということです。

 
その大きな原因の一つは、やはりアルコール症が他の病気とは違って、一般社会の中に根強く残っている誤解や偏見にあることは確かです。
 

 患者さんは、医療機関などでの教育によって、患者さん自身の中にある自分の病気に対する誤解から、ある程度開放されます。
 
こうして患者さんは、アルコール症も一般の病気と同様のものであって、不必要に卑下したり、自責感を持つものではないことを認識するようになります。
 

 幻覚に苦しんだり、家族に迷惑をかけ、警察の世話になったり、社会的信用を落としてきた数々の恥ずかしい体験が、すべて病気の結果であって、問題は、それらの問題行動を引き起こしてきたことではなく、その原因であった、飲酒をコントロールできなくなった体質にあることに気づけば、不必要な自責感から開放され、ではそれを治療するにはどうすればよいかという、前向きの姿勢が生まれてきます。
 

 ところで、すべての患者さんが、過去の飲酒による諸問題をよく記憶し、自覚しているかといえば、必ずしもそうでないことが多いのです。
 
断酒例会の中で過去の体験を具体的に話すように、と先輩に教えられても「何を話せばよいのか分からない。
 
話すような体験がない」と困惑している新しい会員さんにしばしば出会います。
 


     

正月の来るを悲しむ幼子は
 
 まだあどけなき満五才なり
 


 入院中のある患者さんに、なぜあなたはここに入院されたのですか、と質問してみました。
 
次の問答はそのときのもです。
 

患者  家内が入院してちゃんと治療を受けてほしいと言うし、会社側も入院してしっかり病気
 
    を治してこいというもので・・・。

 

医師  奥さんや会社の意見じゃあなく、あなた自身はなぜ入院しようと思ったのですか。
 

患者  さあ・・・、なぜといわれても困ってしまうけど。
 

医師  あなた自身は何の目的もなく、周囲の人たちに言われて仕方なしに入院したのですか。
 

患者  そうでもないですけどね。やはり私も酒をやめなければならないと思っていたので。
 

医師  なぜ酒をやめなければいけないのでしょうか。
 

患者  さあ・・・、別に酒で問題を起こしたわけでもないしなあ。
 
    私は酒によって妻に手をかけたことは一度のありませんからね。
 
    まあ、ときには会社を休むことはあったけど、ちゃんと連絡はしていましたし、それも
 
    年休の範囲内でしたから。

 

医師  それくらいのことで家族や会社が何故入院をすすめたのでしょうね。
 

患者  確かに会社には迷惑をかけていただろうと思います。
 

医師  どんな迷惑を?
 

患者  具体的にはありませんが、・・・そうそう、一度お客さんが、顔色が悪いですね、
 
    と言ったことがあるそうですが、それを聞いた上司が心配してくれたのでしょうか。

 

医師  その他には?
 

患者  別に・・・?
 

医師  たとえば、勤務時間中に酒を飲んだことがあるとか、そんなことはなかったのですか。
 

患者  ああ、それはありました。午後三時ごろになるとぶらりと会社を出て、自動販売機で
 
    ワンカップを買って飲み、公園で一服してから、そのまま家へ帰っていました。
 
    途中、駅の売店でまた二,三本買って飲み、五時頃には家に帰りついていました。

 

医師  それは大変なことですよ。で、そんなことが年に何度ぐらいあったのですか。
 

患者  いや、月に三、四回ぐらいでしょうか。
 

医師  それで問題はなかったのですか。
 

患者  早く帰るときには部下に、もう帰るから、もし五字までに仕事の電話があったら、
 
    家のほうに電話をしてくれ、と頼んで帰っていましたから。
 
    それで特に大きなミスもなかったし・・・。

 

医師  特別な理由もないのに、三時を過ぎると責任者がいなくなるというのは、大変な
 
    問題だと思いますが。
 

患者  そうかも知れませんね。
 

医師  家ではどうだったのですか。
 

患者  別に・・・、晩酌して後は、テレビを見て寝るだけですからね。
 

医師  昨年、息子さんが登校拒否になったそうですが。
 

患者  あれは、私の酒とは関係ありませんよ。
 

妻   受験前で大切なときだったから、父親に相談にのってほしかったのだと思います。
 
    しかし、この人はいつも酔っていて、子どの悩みに気づこうともしなかった。
 

患者  それはお前が、子供にガミガミ言い過ぎたからだよ。
 

医師  子供さんはお父さんのことをどう言っていたのですか。
 

妻   家の中が面白くない。出て行きたい。学校に行く気になれないと言っていました。
 

医師  子供さんがお父さんの酒をどう感じていたのか、何を悩んでいたのか、直接父と子で
 
    話し合ったことはありますか。
 

患者  ありません。子供は転向したばかりだったから、新しい学校について行けなかったんで
 
    すよ。

 

医師  その他に、家の中でご主人の酒で困っていたことは。
 

患者  こいつ(妻)が口うるさくて、私の酒に神経質になりすぎていたんです。
 
    本当にいやなやつだ。
 
    一升瓶の酒がどれだけ減ったか、瓶に印をつけているんです。
 
    そんなことをするから、よし、お前がそんなことをするのなら、
 
    全部飲んでやると言って・・・。(涙ぐむ)

 

医師  一升瓶に印をつけなければならないなんていう光景は、一般の家庭では見られないこと
 
    ですね。
 
    奥さんがそこまでせずにいられなかったのは、一体なぜだったのでしょうか。
 

 以上の会話からも分かるように、患者さんは、自分がアルコール症であることを漠然とは分かっていても、一歩突っ込んで話をしてみると、病気の具体的現象が、まだまったく見えていないことが分かります。
 
これこそが、アルコール症特有の「否認」という現象です。
 

 自分がアルコール症であることを認めることには、二通りの認め方があります。
 
単に頭で病気を理解することと、過去の具体的な現象や行動をひとつずつ思い起こし、それらを細かく点検しながら病気を認めていく。
 
すなわち、全身で自分の病気を理解していくことに分けられます。
 

 病院内のミーティングや断酒例会の中で、体験談を具体的に語り続けていくことの、ひとつの大きな意味がここにあります。
 

 生きていく上においては、防衛は不可欠なものでありますが、アルコール症者に見られる防衛は、むしろ逆に、病を進行、悪化させることになります。
 
防衛を取り除くことは、現実に直面すること、裸になることです。
 
お互いに裸になり、裸で付き合える仲間こそが本当の水仲間ですし、そのような仲間を得てはじめて、本当に強い人間へと成長し、幸せになっていくのではないでしょうか。
 




 
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   断酒会「松村語録」より

   お互いが欠点や失敗を話し合って、裸の触れ合いが出来るようにつとめる
     

                        *松村春繁 全日本断酒連盟初代会長(S38.11設立) 
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