私達にもできることがあります 


ある断酒会員の奥さんの体験を読んでみましょう。
 
元気をだしましょう! 私たちだってできます。
 





 1.私達にもできることがあります
 2.自分から変えてゆきましょう
 3.幸福を永遠のものにいたしましょう








     

 
<ザゼンソウ>



「酒」
 
酒害者の家族にとってこれ程
 
恐ろしいものはない
 
辛いものはない
 
苦しいものはない
 
悲しいものはない
 
恥ずかしいものはない
 
大嫌いなものはない
 


 



1.私達にもできることがあります 





 私の夫が15年来の病的な飲酒からめざめ、断酒を決意し、酒を断ちましてからもう4年になります。
 
 夫の飲酒中、私は断酒会の存在も知らず、ただ不安と焦燥に明けくれ、当時の私の言動のすべては今にして思えば、夫の病気の進行を助ける結果になっておりました。
 
無知とは全く恐ろしいものです。
 

 夫の断酒と同時に私も断酒会の存在を知り、夫ともども会に出席しまして、多くの先輩の体験談や奥様たちのアドバイスなどに耳を傾け、パ ンフレットを読んでおりますうちに、断酒会の持つ意義とその力の大きさにすっかり魅せられまして、今では 断酒会は、私の生活と切り離せないものになってまいりました。
 
そして生活の反省、勇気、知恵を凡てそこから得ているような気がいたします。
 

 この小文は、私が会を通じて学びましたことを、私自身の反省とまとめの為に記したものですが、幼ないお子様をお持ちの奥様方や、商売その他で断酒例会に出席しにくい方たちにもお読みいただきまして、酒害による苦しみや悲しみから一日も早く脱け出して下さるためのお役に立てますよう願っております。
 

 アルコール中毒の治療は、病院に任せておけば安心できる他の病気とは全く異なっています。
 
治療の第一段階は家族−ことに患者に対して最も近い、いつも傍にいるものから始めなければなりません。
 
即ち、妻である私達から治療を始めることです。
 
例え自分の夫であっても、人の気持を変えるということは大変ですが、自分の気持を変えることは、勇気を持てば案外たやすく出来そうです。
 

 私達、アル中の夫を持つものは、誰でも何とかして夫を立ち直らせたいと考えています。
 
それでいて何も行動を起さないことは、普通無知か勇気がないか、極度の混乱状態にあるのかの何れかでしょう。
 
そして恐ろしいことは、何もしないでいるうちに、いっの間にやら、その状態に負け、妥協し、さらにアル中の都合の良いように利用されているということです。
 
その結果、患者の病気はどんどん進行してゆきます。
 
言いかえれば、私達は知らぬ間に夫の病気の進行に手をかしていることになります。
 
これはとんでもないことです。
 
まず私達が態度を変えて、アル中よりもうわてになり、決して利用されず、正しい知識と勇気をもって、酒にマヒしている夫の人間性をめざめさせなければなりません。
 
アル中本人の自発的断酒以外に、アル中には回復の道はありません。
 
出来るだけ早く自覚させる為に、私達はどういう態度をとるか−それにはいくつかの原則があるようですが、私達は、それに、自分で学びとった法則を加えながら、勇気を出してこのアル中という厄介な病気に挑戦してみましょう。
 




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<クリンソウ>
酒飲まぬ我も病気と教えられ 納得せぬまま通う例会  



2.自分から変えてゆきましょう





(1)アルコール中毒という病気の実態を正しく知りましょう。
 
 アル中とは酒を適度に飲むことの出来ない状態をいいます。
 
即ち、酒に対する不適合者なのです。
 
失敗を何度も繰返し、社会的、家庭的責任を放棄し、心身を損う状態になってなお、酒を止めることの出来ない病気なのです。
 
回復は本人の自覚による断酒以外にありません。
 

 断酒会の集会に出れば、周囲はすべてアル中患者ばかりですから、そのすさまじい悲惨な病気の実態が、当人自体の口から語られますので、この病気の生きた勉強ができます。
 
断酒会へ出て、この病気について正しく学びましょう。
 

(2)ます自分自身を変えましょう。
 
 アル中を先に治療しようとしてはいけません。
 
アル中は家族の病気だといいます。
 
つまり、私達も病気なのです。
 
病気は軽い方から直す方が簡単です。
 
つまり、私達から直してゆきましょう。
 
「アル中は病気である。」と知りますと、それだけで私達はいくらが救われた気持になります。
 
病気ですから直さなければなりません。
 
間違った世間体にまどわされ、治療を放棄したり、アル中の失敗の肩代りを私達がする等は最も愚かなことです。
 

 アル中は家族にものすごい感情的打撃を与えます。
 
そして家族がその打撃によって感情的にゆがめられればゆがめられるほど、アル中もまた病気を進行させてゆきます。
 
私の十数年の歴史も全くこの泥沼合戦でした。
 
そして私は長年、自分を夫の被害者であると思いつめ、なるべく夫が酒をのまないように、終始、夫の監視人の役割を演じつづけておりました。
 
アル中の原因が、夫の人間性にあることを忘れ、酒瓶にあると思いつめていたのです。
 
それがどれだけ夫の自覚をおくらせたがわかりません。
 

 家族の不安や怒りほど、アル中の自覚をさまたげるものはありません。
 
私達は、看護者としての冷静さと、正しい愛情でアル中に接してみましょう。
 

(3〉アル中には正しい愛情が最も大切です。正しい愛情とはいかなるものか学びましょう。
 
 ここでケーラーマン牧師(アメリ カA・A家族会顧問、シャーロット 市アル中審議会理事)のアドバイスを読んでみましょう。「愛情とは正義と同情心なくしては存在しないものである。
 
同情心とは人に対して忍耐をつくし、その人とともに苦しみ、ともに悩むことで、決して不正を我慢したり、人の代りに苦しむことではない。」
 

 でも私達はどうでしょう。
 
何度も繰返しアル中の無理を通し、アル中の代りに本人の義務を果たしてきました。
 
アル中は酒をのんで自分の義務を怠ったことの苦痛をマヒさせます。
 
アル中にとって酒は、凡ての問題の逃げ道なのです。
しかしその反面、アル中の未解決の問題、放り出された義務は、凡て家族が背負うことになって家族の苦痛と不安はさらに増大します。
 

 即ち家族は、アル中が酒をのむことに苦しみ、その結果を引き受けさせられることにさらに苦しむわけです。
 
これは全くの悪循環で、家族は互いに深く影響しあいますからアル中はさらに病気を進行させ、家族はさらに感情的病気を進行してゆきます。
 
この悪循環を、どこかで断ち切らなければ、アル中に回復の見込みはさらに少なくなるわけです。
 

 私達は、決してアル中の飲酒の後始末を引き受けてはいけません。
 
アル中自身に責任を引き受けさせましょう。
 
これは勇気と理性が要り、家族にとってむしろこの方が苦痛かもしれません。
 
しかし、正しい愛情を再び家庭に呼び戻し、アル中を立ち直らせるのですから、苦しみは乗り越えてゆかねばなりません。
 

(4)断酒はアル中自身の自覚がポイントです。
 
 再びケーラーマン牧師のアドバイスに耳を傾けてみましょう。
 
「アル中の問題は、酒にあるのではなく、人間性にあることを理解しなければならない。
 
そして、アル中自身の自発的断酒以外に回復の道は全くない。
 
アル中の回復は、ゴシック式のアーチを立てるのに非常に似ている。
 
眼に見えない土台があり、多くの人がいろいろな石をアーチの中に収めるが、要めの石は、アル中自身の手によって、あるべき場所に置かなければならない。
 
そうでなければ、アーチはそのうちに必ず崩れるものである。
 
アル中がやらなければならないことを、誰もアル中の代りにしてやることは出来ないからである。
 
これは、患者の薬を、私達が代りにのんでも、患者にききめが現われないのと同じことである。
 
もし、永続する土台の上に、回復を据えようとするならば、アル中自身、自らの意志で選択し、行動しなければならない。」
 

 私達は、看護者であると同時に妻です。
 
決してあきらめてはいけません。
 
多くの立ち直った先輩という、立派なサンプルがあります。
 
酒にマヒした人間性が目覚めるチャンスは、決して高遠な思想や、立派な講話の中にあるのではなく、むしろ先輩の生きた体験談にあります。
 
いわば、生活の身近なことの中にこそあるのです。
 

 絶望して、生活を投げやりにせず、一層毎日を大切に。
 
必ず回復はあるのですから、努力してみましょう。
 

(5)思い余ることがあったら断酒会・精神衛生センター・保健所をたずねましょう
 
 アル中の諸問題と対策を、パンフレットや本等で学ぶことは非常に困難です。
 
しかし断酒会や家族会に足しげく通うことによって、非常にたやすく、いつの間にか生きた言葉として体得することが出来ます。
 

 断酒会で私達は、希望と、やすらぎと、反省と、明日への勇気を得ることが出来ます。
 
私のこの体験談は、凡て断酒会で得たものです。
 
数多く出席すればするほど、より多くの収穫が期待できることは、全国数万の先輩たちの例からみて確信をもって断言できます。
 
そして断酒会は、私達の自分の会なのですがら、夫のためのみならず自分自身のためにも、出来るだけ出席してみましょう。
 




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<コスモス>
夫婦して同じ時間に同じ場所 同じ目的二時間学ぶ    



3.幸福を永遠のものにいたしましょう 





 夫が断酒を決意してくれて、やっと”狭き門”の入口にたどりつけましても、アル中という病気は、それで凡てが解決したわけではなく、実はこれから本当の意味での妻の力が必要になります。(夫の本当に必要とする妻であることこそ、私達の真の生き甲斐だと思います。)
 
回復はゆるやかに一歩一歩一進一退です。
 
あせらず、自信をもって、夫のかけがえのない伴侶になりましょう。
 

(1)私達が夫に断酒させたのではなく、夫自ら断酒を決意してくれたのです。
 
 私達は苦労のあまり、時には夫を断酒させたのは自分ではなかったか?という錯覚におちいることがあります、とんでもない間違いです。
 

 どんな経過をたどったにせよ、断酒はアル中自身の自覚がなければ、出来ることではありません。
 
私達は、妻として当然の義務を、完全とは言えないまでも、どうにか果たしたにすぎません。
 
私達の倣優と不遜の態度は、お酒を止めて急速に精神的に成長してゆく主人との心のつながりまで切ってしまいます。
 

−お酒を止めた主人はえらいと思います一 
 
断酒してくれた夫を尊敬し、幸福をもたらしてくれたことに素直に感謝いたしましょう。
 

(2)アル中の気持、回復期の心理を理解しましょう。
 
 一番有効な方法は、断酒会、家族会に出席することです。
 
回復者の体験談の中に、私達は主人の気持を理解する手がかりがつかめますし、奥さん達の話の中に、私達はこれからどうすべきか?というヒントを得ることが出来ます。
 

 酒と離れた夫は孤独です。
 
今こそ真の友人、真の理解者が必要です。
 
私達は、その第一の友人になることが出来ます。
 

(3)アル中のする凡ての有益な活動こはげみを与え、
 
   それが実行出来るように協力しましょう。

 
 回復期の患者は断酒会に入会して、夢中で断酒活動にはげむことがよくあります。
 
逆に、なかなか会になじめないで遊離することもあります。
 
何れにしても、私達は夫の最高の理解者であり、協力者なのです。
 
決して夫の行動に水をさすようなことをしたり言ったりしてはなりません。
 

(4)私達が断酒会に出席するのは、夫のためだけではなくて、
 
   実は私達自身のためなのです。

 
 夫が断酒して、一番幸福になるのはその妻たちです。
 
断酒した夫は、一様に私達の努力をみとめ、協力に感謝してくれます。
 
つまり、妻に一目おいてくれるわけです。
 
そして妻へのいたわりや愛情を素直にあたたかく表現してくれます。
 
これこそ、女性のまちのぞんだ幸福です。
 

 この幸福を永遠のものにするためには、私達は、自分の幸福のために断酒会に出席するのだということを忘れてはなりません。
 

(5)家庭の主人の座を、早く夫に返しましょう。
 
 アル中の夫を持ちますと、生活の必要上、いつの間にやら家庭の主人の座に妻が収まっていることに気付きます。
 
夫が回復に向かったら、なるべく早く夫に主人の座を返すことです。
 

 私が若い頃読みましたスチーブンソンの”妻”という小説の中に
 
「男というものは、家に妻と子供という人生の可愛いお荷物があるから、元気に働くものだ。」
 
という一節がありますが、私達も着なれぬヨロイを脱いで、妻らしい装いで夫の可愛いいお荷物になってみましょう。
 
夫に愛される妻になりましょう。
 
その方がきっと私達には似つかわしいと思います。
 

(6)夫がアル中になって生じた損失よりも、得たものの大きさをかんがえてみましょう。
 
 今、誰かに「あなたは今、幸福ですか?」と質問されて「はい、幸福です。」とはっきり答えられる人が世間には幾人いるでしょう。
 
でも断酒に踏み切った夫を持つ妻たちは、誰でも確信を持って「はい、私は非常に幸福です。」と胸を張って答えることが出来ます。
 
この秘密はどこにあるのでしょう。
 

 私達は、長い年月、あらゆる苦労をしました。
 
私も無知からくる無駄な苦労もあったにせよ、ありったけのエネルギーでアル中と闘った過去を持っております。
 
でも、私の十余年の苦労の生活は、容易に生きた人々の数倍の価値ある生き方ではなかったかと誇りに思っております。
 
言いかえれば、私は平穏無事に世を過した人と比べて、数倍も人生を生きてきたと思って、非常に得をしたような気がします。
 

 幸福の門は、苦労した者のみに開かれるのではないでしょうか?
 
苦労とは、幸福を購うための代価なのではないでしょうか?
 
私はこの幸福を手にした今、あらゆる苦労が凡て非常に価値あるものに思えてなりません。
 

 また、私達は断酒会を通じて、多くの心から理解しあえ、協力しあえる友人を持つことが出来ました。
 
もう決して孤独ではありません。
 
その上、夫とともに生きる共通の目標さえ得ることが出来ました。
 
私達に夫婦の断絶などあろうはずはありません。
 
この幸福を大切に、夫や断酒会のなかまとともに育ててゆきたいものです。
 

(7)夫の過去の失敗を話すことをひかえましょう。
 
 過去の夫の失敗は、また私達の失敗の歴史なのです。
 
私達が自分の失敗をあばかれるのが嫌なように主人も過去の失敗に触れられるのは好まないはずです。
 
回復しきらない傷に手を触れて、再び傷を悪化させるようなことをしてはいけません。
 

 別にこと改めて古傷をチクリチクリしなくても、断酒会に出ている限り、夫を信じきってさしつかえないようです。
 
なぜならば、本人がすすんで断酒会に出るという行動自体が、古傷を癒し、再発を防いでくれているからです。
 

(8)私達は、今までよりいっそう感情的に成長しなければなりません。
 
 夫がある程度、断酒継続が出来ると、気のゆるみと、忘れていた生活の重圧から、つい私達は例会出席がとだえがちになります。
 
しかし、多忙な本業の余暇、黙々と例会に通い、酒害相談や会の仕事にせいを出している夫は、急速に人間的に成長してゆきます。
 

 夫と同じ歩調で前進するためには、私達も例会出席を怠けるわけにはゆきません。
 
新しい方や、失敗された方、まだ止められない夫のことを訴える奥様のお話をきくことは、こうした中だるみ状態の妻たちに無上の警鐘となることでしょう。
 

 そして、もし再び夫が酒を飲むことがあっても、私達は決して何も知らない愚かな妻ではないのですから、今まで学んだことを基盤にして、あわてず、絶望せず、成長した知恵で対処してゆきたいと思います。
 

 冬来りなば春遠からじ……ですが、春が来ていても、ある日突然冬が蘇えることもあります。
 
だからといって、春の来ていることを疑う人はありません。
 
     『暫く断酒した夫が失敗した時の、奥様への提言』
 

 以上、私が4年間断酒会に出席いたしまして学びましたこを記したものですが、この問題は、頭で知っているだけで解決するものではありません。
 
しかも、上記の記事も、私が断酒会で学びました内容の、ごくごく一部に過ぎず、その凡てを表現することは、とても私の筆力を及ぶところではありません。
 

 どうか、奥様御自身、御主人ともども万発を排して、出来るだけ回数多く断酒会に御出席下さい。
 
断酒会独特の雰囲気と、生きた教材(失礼ながら)は断酒の知恵を体得する無限の宝庫です。
 

 幸福は、決してむこうからやってきません。
 
考えるより先に、行動を起してみましょう。
 




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<コブシ>
例会にしっかり断酒の根を張りて 二本の足で踏ん張り立たん  


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