今日は道場のことなども話してほしいということですが、この4月道場は創立30周年を迎えました。
申し遅れましたけれども、そのおりには皆さんにもご参列頂き、また記念事業に際しましてもご協賛を頂きまして高い席からではございますが、厚くお礼申し上げます。
道場の創立の経緯でございますが、昭和30年代の終わり頃、和歌山の中村欝次郎さん、創立者の中村先生と私は申し上げておりますけれども、この方が、息子さんの酒害で随分苦しまれた。
当時のことですから、いまでも誤解と偏見はありますが、当時はもっと強かった。
専門の医者もいなければ、断酒会もない時代でございます。
たまたま先年亡くなられた大野さん(全断連元理事長)との出会いがあり、大野さんのご紹介で久里浜病院に入院しました。
そこで、なだいなだ先生との出会いがありまして、「退院したら和歌山に断酒会を作るように」と、そう言うことで、当時大阪の南の方で断酒会を作る準備をしておられました米田先生を紹介して頂きました。
この米田先生は、いまでも道場の顧問をしていただいている訳でございます。
息子の中村公彦さんは、米田先生のご指導で、当時阪和断酒会というものが作られていまして、その会長を16年され、現在は名誉会長、道場の理事長をしておられます。
お父さんは、自分の所だけ助かればいいものではない。
自分も、人知れず泣いてきたのだ。
本当に辛かった。
全国には、自分のように困っておられる家族が、たくさんおられるのに違いない。
そう言うことから断酒道場が作られることになりました。
当時のことですから、産みの苦しみというのがあったように思うのですが、 道場の特徴というのは作ったのは家族、創立したのは家族でございます。
運営しているのは理事長と私、両方とも体験者でございます。
時の道場長は児玉正孝先生で、広島県のご出身、作り酒屋の息子さんです。
この方がアルコール中毒になられ、(昔は、アル中と言われておりました)精神科に23回入られたそうです。
そして八丈島に渡られた。
当時、八丈島にキリスト教矯風会で断酒療養所というものを作っておったんです。
そこに行かれたわけです。
前道場長の体験談をうかがっていると、いろんなことをやっておられるのですが、赤ん坊の頃ですね、お爺ちゃんが初孫だというので、えらい喜んで、抱っこされる。
お酒の好きなお爺ちゃんです。箸にお酒を付けて赤ん坊に、児玉先生になめさせた。
そしたら、ニタニタ喜んで笑っておられた。
さすがにわしの孫じゃと、えらい喜んでおられた。
そう言う話を、お伺いしたこともございます。
奥さんも随分苦労をされて二人のお子さん、男の子を育てられたわけです。
そして児玉先生は、八丈島でピーマンの移植をされるときにピーマンの根を見られて気付かれたのです。
悟られたのですね。
「洒だけ止めても駄目なんじゃないか」。
このピーマンの根みたいなものが、何か残っているのではないか、これが児玉断酒理念と申しますか、教え、お考えの始まりであるように思うのですね。
そして八丈島で修行されて、酒との縁も切れまして、しばらく広島にも帰っておられた。
かつて入院した病院を訪ねて、とにかく酒が止められたので嬉しくてしょうがない。
そこの院長に断酒、断酒と話しておられたそうです。
そうすると先生が、 児玉さん、あなたは断酒、断酒と言っているけれど、それは種を断つことか?去勢のことか?と」。これはある意味では正解であるわけですが、「酒を止めているだけでは駄目なんだ」。
「酒を止めて、そして人間的にも成長しなければ断酒の意味はないんだ」と、そう言う忠告を受けられたわけです。
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