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AAの治療メカニズム


 
                 ハリー・M・ティーボウ医学博士  
  

 アルコホーリクス・アノニマスの12ステップを最初に治療に応用した精神科医です
 
                                                 

 アルコホーリクス・アノニマスというのは、元アルコホーリクたちのあるグループの名前である。
 
このグループは明確な宗教的要素を含む治療プログラムによって、アルコホリズムに打ち勝っている。
 
グループが生まれたのは1934年に個人的な宗教的体験を通して自分の飲酒問題への回答を見出したビル・Wという一人の男性の尽力からである。
 
この体験を彼は、他の人々にも通じる言葉に翻訳することが出来た。
 
以来、多くのアルコホーリクがそのアプローチを使うことで酒をやめている。
 

 アルコホーリクス・アノニマスの活動は三つの側面を持っている。
 
第一に、グループは毎週集まりをもって、そこで体験を語り、問題を話し合う。
 
第二に、メンバーはすべて、彼らの本である「アルコホーリクス・アノニマス」を読むことを進められる。
 
この本には彼らの基礎的な信条が書かれており、自分の問題をいくらかでも理解できるようになるためには必読のものである。
 
第三に、メンバーはグループに初めて接触してくるメンバー候補者にかかわる。
 
他の人々の手助けをすることは総方向の意味を持っており、酒をやめてまもなくの初心者を助けるばかりでなく、援助者自身も援助の努力を通して持続的なソブラエティ(飲まない生活)のための本質的な何者かをつかむことによって助けられるのである。
 

 AAは彼らの方法を真剣にやってみる者の75%が回復すると主張している。
 
この数字はグループの急速な成長と合わせて見ると、敬意を払うべきものであり、また解明を要するものである。
 

 グループの共同性の意義、新しいメンバーを手助けする努力によって各メンバーにもたらされる支え、治療がうまくいっている者ならだれしも発散する希望と励ましの雰囲気、これらを十分に認めながらも、それでも私はこれらの中心にある治療的な力の付加的なものであるとみている。
 
この力とは宗教である。
 
その真理がこの論文の終わりまでに明らかになることを願っているが、私のこの認識はとの何回にもわたるビル・W氏との長い対話から得たもの出る。
 

 グループとの私の最初の接触は、ブライズウッドで数か月にわたって私のケアを受けていたある三十四歳の女性患者を通してであった。
 
彼女は長年の慢性的アルコホーリクで、その知能、家柄、若い頃の成功にかかわらず、文字通り底をつき、確実に運命の下降線をたどり、ほとんど無一文になっていた。
 
彼女はどの患者にも劣らず必死でよくなろうとし、治療プログラムに心から協力的だったが、結果は極めて不満足なものだった。
 
結局明らかになってきたのは、彼女がある性格構造を持っていて、彼女と私の最善の努力にもかかわらず、これが微動だにしないで持続していること、そして酒を止められないのは明らかにこのせいだということだった。
 
ある日『アルコホーリクス・アノニマスが』が一部まだ謄写版刷りのものだったが、手に入った。
 
私はこれを読んで、今直面しているこの患者の性格的問題がこの中に正確無比に記述されているのを見出した。
 
彼女を少しでも揺さぶろうとして、私はこの本を読むようにと手渡した。
 
驚いたことに、彼女はこれに強く感銘を受け、アルコホーリク・アノニマスのミーティングに行くようになり、そしてたちまちグループの活動的で成功したメンバーとなったのである。
 
もっと驚いたのは次の発見であった。
 
つまり、このプログラムを消化するにつれて、これまでどんな援助も妨げてきた彼女の性格構造が解消され、飲まないでいられるようなものに置き換えられていったことである。
 

 何かが私の眼前で起こったのである。
 
これは疑いようのないことであり、単なる偶然で説明できることでもなかった。
 
私は問いかけに直面していた。
 
いったい何が起こったのか?
 
この患者は宗教的な或いはスピリチュアル(霊的)な体験をしたのだ、というのが私の解答である。
 
しかしこの答えは当時では特に啓発されたわけではなく、その真の意味が分かるようになったのはだいぶ後になってからであった。
 

 宗教的要因の意味するものの理解がどのように進んでいったかを説明する前に、解消された性格構造のことを論じておく必要がある。
 
多くの報告は逆のことを言っているが、アルコホーリクには、基底に明白な精神症状を持つものは別として、一定の共通した特徴が恒常的に存在することが、次第にわかってきている。
 
いわゆる典型的アルコホーリクの特徴は、自己愛的自己中心的な核であり、万能感に支配されていて、どんな代償を払ってもその内的な完全さを保とうと熱中していることである。
 
これらの特徴は他の不適応にも見られるが、多くのアルコホーリクにはこれが純粋培養のように現れる。
 
一連のケースの注意深い研究を通して、ジルマンは次のように報告している。
 
彼は問題飲酒者に共通の性格構造のアウトラインを識別できると言い、此の一群の性質を名づければ「挑戦的反抗的個性」と「誇大性」というのが最も合っていると言う。
 
私見ではこれは正当な表現である。
 
内面ではアルコホーリクは、人からであれ神からであれどんなコントロールも我慢できない。
 
彼は自らの運命の主人であり、そうでなければならない。
 
彼はこの位置を守るために最後まで戦うのである。
 

 このような性格特徴が持続的に存在することを認めれば、その人にとって神と宗教を受け入れることが如何に困難な事かは容易に理解できる。
 
宗教は神の存在を認めることを個人に要求するが、そのことはアルコホーリクの本性そのものに対する挑戦となるのである。
 
しかし、他方ではここがこの論文の基本点なのであるが、もしアルコホーリクが自分自身より大きな力の存在を真に受け入れる事が出来れば、彼はまさにそのステップによって、自分の最も深い内的構造を少なくとも一時的に、恐らくは永続的に修正することになる。
 
これを恨んだりもがいたりすることなしに行うならば、その時には彼はもはや典型的アルコホーリクではなくなっているのである。
 
そして不思議なことに、アルコホーリクがこの受け入れの内的感情を持ち続ける事が出来ると、以後の人生を飲まずに過ごすことができるようになる。
 
友人や家族から見れば、彼は宗教に入信したと言う事になる!精神科医から見れば、彼は自己催眠なり何なりにかかっているということになろう。
 
アルコホーリクの内部で何が起こったにせよ、彼は今や飲まずにいる事が出来る。
 
このようなものがアルコホーリクス・アノニマスの主張であり、それは事実に基づいていると私は信ずる。
 

 私の患者のことに戻って、彼女がアルコホーリクス・アノニマスを経験してどうなったかを話したい。
 
それまでの彼女の状態は、既に述べたアルコホーリクの性格構造に完全に合致していた。
 
アルコホーリクス・アノニマスが彼女を捉えて以来、パーソナリティの変化が目に見えて起こってきた。
 
攻撃性はほぼ沈静し、世の中との不安の感覚は影を潜め、それと共に他人の動機や態度を疑う傾向が消失した。
 
平和と落着きの感覚が内的緊張の真の緩和とともにこれに続き、顔つきが柔和で優しくなってきた。
 
あの硬い内部の核が変化し、5年間のソブラエティ(飲まない生活)をもたらすのに十分な変容を遂げたのである。
 

 アルコホーリクス・アノニマスに参加したときに彼女を揺り動かした体験の本質は何であろうか?
 
答えは、ある種の宗教的ないしスピリチュアル(霊的)な力が目覚めたということである。
 
ビル・Wは、どのアルコホーリクの場合も、このグループで成功するかどうかはその個人が回心ないしスピリチュアル(霊的)な覚醒をどこまでするかにかかっている、と述べている。
 
彼自身の体験は一挙に起こった地殻変動のようなタイプのもので、それは彼を絶望の沼から引き上げて忘我の喜びと至福の高みに連れ去り、それが何時間か続いたのであった。
 
この状態に続いて、平和と静穏の感覚、そして酒の呪縛から解放されたという深い確信がやってきた。
 
彼によると約10%の者がアルコホーリクス・アノニマスに入るとこのような体験をするということである。
 
後の90%の者は、飲まないでいれば、先に述べたようなプログラムの種々のステップに従うことによって、ゆっくりとはるかに徐々に彼らのスピリチュアル(霊的)な側面を発展させ、同じ結果を獲得する。
 
アルコホーリクス・アノニマスの経験によると、スピリチュアル(霊的)な目覚めの起こる速さは治癒の深さや永続性の基準にはならないとのことである。
 
この宗教的酵母は、最初はいかに小さなものであっても発酵プロセスを開始し、それが首尾良い結果にたどり着くようプログラムが助けるのである。
 

 ではスピリチュアル(霊的)な覚醒とは何であろうか?
 
これについてもビル・W氏の個人的体験が手掛かりとなる。
 
彼はエネルギーと意欲の大きな才能の持ち主であるが、三十歳代で飲酒によって完全に行き詰まった自分に気がついた。
 
少なくとも5年の間、彼は自分の中で進行する下り坂のプロセスと戦ったが成功しなかった。
 
最後の入院の2週間前に、彼はアルコホーリクであった旧友の訪問を受けた。
 
その友人はブックマン主義によってソブラエティ(飲まない生活)を獲得していた。
 
ビル・W氏はこの友人の教えを自分も使ってみようとしたがうまくいかず、結局、ある有名な病院に入って酒を切ることにした。
 
そこなら脳からアルコールを洗い流す事が出来るだろうし、アルコールの引力から離れて友人の考えを自分のやり方で試してみるチャンスも得られるだろうと考えたのである。
 
彼は絶望して落ち込み、戦意をことごとく打ち砕かれていた。
 
何でもやってみる気になっていた。
 
そうでなければ州立病院で不治の狂気の人生を過ごすしかないことが分かっていたからである。
 
入院した日の夕方、再び友人が訪れ、自分を健康にしてくれたと信じている原理をもう一度解説していった。
 
友人が帰ってから、彼はさらに深い抑うつに落ち込んでしまった。
 
この状態を彼は、「底深い憂うつ感と全く希望のない感じ」と述べている。
 
この精神の苦悩の中で突然、彼は「もし神がいるなら、今姿を見せてくれ」と声に出して叫んだ。
 
そして、この祈りとともに彼の宗教的体験は始まったのである。
 
徹底的に謙虚になって初めて、そこにある神の助けを求める事が出来たということを彼は強調しているが、その通りであろう。
 

 言い換えれば、ビル・W氏自身の体験に照らしてみると、宗教的あるいはスピリチュアル(霊的)な目覚めは、自分の万能性に頼ることを放棄する行為である。
 
挑戦的個性がもはや挑むことをやめ、外からの援助、導き、コントロールを受け入れる。
 
そして、自分自身と人生に対する否定的攻撃的な感情を捨てると、彼は愛、友情、平和、浸透する満足感といった強力な肯定的感情に圧倒されている自分に気付く。
 
この状態は、安らぎを欠いた以前のイライラした状態の正確なアンチテーゼである。
 
そして意義深い事実は、此の心的状態では人は文字通り「飲むことに駆り立てられる」ことがなくなるということである。

   

 
<うぐいす>
他人事(ひとごと)と思いし断酒
 
 夢ならぬ 長きトンネルに 光射し込む
 


 スピリチュアル(霊的)な変化の現象に対する洞察はさらに、もう一人の患者からもたらされた。
 
そのケースを取り上げてみたい。
 
彼は40歳代はじめの男である。
 
裕福な家の末子である彼は、神経症的で心気的な母親の溺愛の対象であった。
 
飲酒は思春期後期にはじまった。
 
たちまち彼は社交場面に処するのに酒に頼ることを覚え、年がたつにつれてこの依存はさらに顕著になっていった。
 
ついに長い連続飲酒のあげくに、ブライズウッドに入院した。
 

 彼はずば抜けて反応の良い患者であることが分かった。
 
自分のアルコホーリクの傾向を容易に認め、アルコホーリクス・アノニマスにすぐ関心を持った。
 
一月くらいの入院のうちに、彼は問題を手中に握ったとすっかり自信をもって退院した。
 
しかし間もなくちびりちびりと飲み始め、何週間かの痛飲を経て4か月ぶりに戻ってきた。
 
再び彼は面接に良く反応したが、しかし今や明らかになってきたのは、真の戦いが眼前にある事、この戦いは最初に取り上げた患者が直面したのと全く同じものであることだった。
 
先に述べたとおりの性癖は、治療に対する越えがたい障壁として立ちはだかっていた。
 

 私と彼がこの障害を話し合っていた何週間かの間に、再び彼は隠れ飲みをはじめ、結局歴然とした連続飲酒に陥った。
 
そして、これを終わらせるためにブライズウッドに連れ戻された。
 
アルコホーリクが通常そうであるように、彼もしらふになった時には後悔と罪の意識、そしてひどく謙虚な気持ちでいっぱいになっていた。
 
挑戦的パーソナリティは自分自身の不業績によって打ち負かされ、此の気分の中で彼は一滴の酒ももう決して口にすることはないと信じた。
 
ところが、三日目にいくらか体力が回復してくると、面接の時に彼は私に何とかしてもらいたいと言ってきた。
 
何のことかと聞くと、「また古い感情が戻ってきている。
 
先生からも今起こったばかりの出来事からも心を閉じようとしているのが自分でわかる」という答えだった。
 
自分の問題に対する無頓着さ、攻撃的な確信、真の謙虚と罪の意識の徹底的な欠如、飲酒に導く心理的枠組みとして彼が認知するようになっていたこれらすべての性格特徴が戻ってきて、連続飲酒から抜け出した時の彼を占めていた感情、考え、さらには感覚までも締め出そうとしているのだった。
 
彼も復活するこの感情に捉えられれば、遅かれ早かれまたばか飲みに陥るだろうことは分かっていた。
 
連続飲酒から脱出した時の姿勢を何とかして守らなければならないことを、彼は理解した。
 

 次の日の面接が始まると、彼は「先生、分かりましたよ」と言った。
 
それから前夜の体験を報告した。
 
この体験を私は、適切な用語がないので「心理的覚醒」と名付けることにする。
 
突然のひらめきのように起こったのは、一人の人間としての自分についての理解である。
 
これは11時ころに起こり、彼はベッドに横になってはっきりと目を覚ましたまま翌朝の4時まで、新しい洞察と理解を自分自身についての知識に組み入れていた。
 

 この5時間に起こったことを把握するのは容易なことではないが、いずれにしてもこの出来事はアルコホーリクとしての自分自身についての根本的な理解をもたらし、この患者の人生での大きな体験となったのである。
 
ずっとそうであった自分を初めて知るとともに、飲まないでいるためにはどのような人間になる必要があるのかということも感じ取る事が出来た。
 
この時には意識されていなかったが、彼は徹底的に自己中心的で主観的な見方から、自分自身についての、そして人生に対する関係についての客観的で成熟した理解に転換したのである。
 

 後から振り返ると、この患者が自分の基礎的な自己中心性に気付いたことは明らかである。
 
はじめて彼は、理屈付けと防衛反応に覆われた見かけの自分の裏を洞察する事が出来るようになり、これまでいつも自分を第一に考えていたことに気付いたのである。
 
彼は自分とは関係のない人間も存在するということに、文字通り無自覚であった。
 
他人がそれぞれ別の存在であり、自分と似ているが違った人間であるということは、彼にとって現実感を持ったことがなかった。
 
今彼は既に、自分を万能の存在とは感じていないし、自分に関係づけてしか世界を見ないような人間ではない。
 
代わって、世界との関係の中で自分を見る事ができ、自分は他の多くの人々の住む宇宙の小さなひとかけらに過ぎないことを実感できる。
 
彼はもはや支配する必要がないし、支配を維持するために戦う必要がない。
 
彼はリラックスし気楽にやっていくことができる。
 

 この新しい構えは、患者自身の言葉にもっともよく表現されている。
 
彼はこう言う。
 
「先生、なんと私は今までずっと欺瞞をやってきたのです。
 
しかもそれに全く気が付きませんでした。
 
わたしはみんなに関心を持っているといつも思っていましたが、ほんとうはそうではありませんでした。
 
私は母に、病んでいる一人の人間として関心を持ったことはありません。
 
母が一人の人間として病むということに、気が付きませんでした。
 
母がいなくなったら自分がどうなるかが気になっていただけでした。
 
皆は私を孝行息子で模範だといい、自分でもそう信じていました。
 
しかし、全然そうではなかったのです。
 
母が私を気分良くしてくれるから、そばにいてもらおうと一生懸命だっただけです。
 
母は私を決して批判しないし、私が何をしても、それでよいのだと思わせてくれました」
 

 新しい洞察は、彼の人々とのそれまでの関係にも光を当てた。
 
この点については、彼はこう言っている。
 
「実は、私は皆に親しみを感じるようになってきました。
 
他人のことを時々考える事が出来ます。
 
皆に対して打ち解けていられます。
 
たぶんそれは、人が自分に対して戦っているとは思わなくなったからでしょう。
 
そう思わなくなったのは、私がみなと戦っていると思わなくなったからです。
 
今は、皆は私を本当に好きになってくれるかもしれないという気がします」
 

 自分や世界との関係についての覚醒は、まだほかにもあげる事が出来るが、それはすべてこの患者の思考が生涯で初めて真に客観的になったことを証明するものばかりである。
 
客観性へのこの転換は、それでもまだ物語の半分に過ぎない。
 
この転換と結びつて、普段の感情の調子にも同様に著しい変化が起こった。
 
言葉にすると、これはビル・W氏のスピリチュアル(霊的)な体験を想起させるものであるが、この患者はこう述べている。
 
「素晴らしい気分なのですが、飲んでいた時の様なものではありません。
 
まったく違うのです。
 
平静な感じで、興奮したり騒ぎまわったりということがありません。
 
このままいることに満ち足りていて、大して心配することはないような気がします。
 
リラックスしていて、それでいて人生をこれまでなかったくらいうまくやっていけるように感じるのです」
 
「神について今は違う気持ちを持っています。
 
何ものかが物事を動かしているという考えに、こだわりを感じなくなりました。
 
自分が物事を動かそうとしなくなったからです。
 
むしろ、至高の存在があって、それが物事がうまくいくようにしてくれていると感じられて、感謝しています。
 
これが多分、あの人たちの話しているスピリチュアル(霊的)な感情に似たものなのでしょう。
 
何であろうと、これが続いてくれることを願っています。
 
これまでの人生で、これほど平安に感じたことはないからです。」
 

 この言葉で、彼は神に対するそれまでとは違った態度を明白に表現している。
 
そして彼がある事実に気が付いたことも示している。
 
それは自分の我を通すことに執着しなくなるとリラックスでき人生を落ち着いた、それでいて十分充足された方法で楽しめるようになるということである。
 
このような気持ちは、彼が示唆している通り明確にスピリチュアル(霊的)な質のものである。
 
彼のこの判断が正しかったことは、その後1年近く飲まないでいられたことが示している。
 
客観性への転換と情緒の変容は、しらふを続けるために必要なものであることが立証されたのである。
 
このソブラエティは比較的短い時間であったが、彼は今はしっかりした足場に立っていることを感じている。
 
これまで彼は、飲まないでいる間は絶え間なく酒と戦っていたが、今は心の真の平和を得ている。
 
それはしらふの思考を保つために何が必要かを知ったからである。
 
 このケースは、急速な心理的方向転換を経た個人の例としてあげた。
 
その結果は全面的に新しい、それまでと異なった人生のパターンと展望である。
 
この新しいパターンの恒常性については議論の余地はあるが、この体験そのものが起こったという事実は疑いないであろう。
 

 この論文の目的にとってさらに大きな意義を持っているのは、次の事実である。
 
すなわち、この患者は、この体験によって生まれた自分の新しい気持ちを表現するのに、ビル・W氏がその宗教体験の後に述べた言葉や、私のもう一人の患者がアルコホーリクス・アノニマスの活動に捉えられた効果を表し始めてから使った言葉と、同じ言葉を使ったことである。
 
私がビル・W氏から聞いた話によると、10%のものは急速な覚醒を経験するが、そのうちのあるものは全くの宗教的体験を基盤として、他のものはこの患者のような徹底的な心理的出来事の結果としてそれを獲得するということである。
 
他の90%のものは、先の女性患者のようにもっとゆっくりと同じ結果に到達する。
 
この結果が達成される道筋がどれであっても、すべては彼らが人生のスピリチュアル(霊的)な側面と結びつけている平和と安定の感覚に至ることは疑いないようである。
 
性格の自己愛的部分は少なくとも当分の間は影を潜め、それに代わってずっと成熟した客観性をもった人物が姿を現す。
 
彼はアルコールに逃避することなく人生の状況に積極的肯定的に立ち向かう事が出来る。
 
ビル・W氏によれば、飲まないでいることの出来ているアルコホーリクス・アノニマスのメンバーはすべて、遅かれ早かれパーソナリティの同様な変化を経験するということである。
 
彼らは自己愛的要素を永久に捨てなければならないのである。
 
そうでなければ、アルコホーリクス・アノニマスのプログラムは一時的な効果を表すだけである。
 

 ここで二つの観察を付け加えておきたい。
 
第一は、心を揺り動かす真の宗教的感情と、多くの人々の心に宗教的感情として通用しているあいまいな、手探りの、懐疑的な、知的な信条との間には、雲泥の差があることである。
 
自分より大きな力をついに把握したとしても、その人が時の経過の中でこの力の現実性と身近さの感覚を獲得しない限り、自己中心的な本性は以前に劣らぬ強さで再度自己主張を始め、そして飲酒が再登場するに至るのである。
 
第二に、必要なスピリチュアル(霊的)な状態に最終的に到達する人の多くは、単にアルコホーリクス・アノニマスのプログラムに従うことでそれを達成するのであり、スピリチュアル(霊的)な感情の到来を意識的には経験することがないということである。
 
むしろ彼らはゆっくりとしかし着実に成長していき、ある心的状態がしばらく現実のものになってから、それが以前とは大きく違っていることを突然意識するのである。
 
自分の物の見方や見え方がまさにスピリチュアル(霊的)な色彩を帯びていることを発見して自分自身が驚くわけである。
 

 したがってアルコホーリクス・アノニマスの中心的な効果は、その人の中にスピリチュアル(霊的)な状態を発展させることであり、それがアルコホーリクの性格の自己中心的要素を直接中和する力として働くのである。
 
その状態が新しい習慣的パターンの中に完全に統合されれば、その時こそその患者は飲まずにすむであろう。
 
ビル・W氏はこう言っている。
 
この統合の過程は何年もの期間を要する、そしてもし6か月たってパーソナリティ構造に見るべき変化がなければ、スピリチュアル(霊的)な側面は隠れていたアルコホーリク的自己の復活に屈伏してゆくだろうと。
 
言い換えればアルコホーリクス・アノニマスの宗教的な起動力がより深いパーソナリティ要素の変化をもたらさない限り、プログラムの効果は永続しないということである。
 
興味深いことに、この変化は典型的には精神科的援助なしに起こる。
 
それでもビル・W氏の次の言葉のように、これは我々精神科医としても自分たちの患者の良くなった状態として期待する特徴を持ち合わせている。
 
要するに、彼はその意見をこう結んでいる。
 
「アルコホーリクは客観性と成熟を獲得しなければならない。
 
そうでなければ、彼はしらふでい続けることはできない。」
 

 結論として、アルコホーリクス・アノニマスのアプローチの治療的価値は、アルコホーリクの根底にある自己愛を侵襲する宗教的ないしスピリチュアル(霊的)な力の活用に由来していると私は信ずる。
 
この自己愛成分を根こそぎにする事によって、個人は全く新しい肯定的な性質の一連の思考と感情を体験し、これが彼の成長と成熟を促すのである。
 
言い換えれば、このグループは情緒的な結果を達成するために宗教という情緒的な力に依拠している。
 
すなわち、否定的敵対的な一組の情緒を打ち負かして肯定的な一組の情緒が取って代わるわけである。
 
それによってその人はもはや我を張る必要がなくなり、代わって世界と共にその一員として、平和と調和の中で自由に分かち合いに参加しながら生きて行けるのである。
 

 最後に一言、付け加えておきたい。
 
現代の精神医学は純然たる情緒的な治癒については当然のことながら用心深い態度をとっている。
 
どんな変化であろうと、それが心と知性とにしっかり結び付けられない限り、治癒は疑わしいとされる。
 
今日では力点は精神分析に置かれているが、これは融合の状態を達成することを阻んでいる原因を狩り出すのに、心に依拠している。
 
融合というのは実際には、葛藤と緊張から自由になったと感じる情緒の状態である。
 
ここでは、阻害している情緒が分析によって明るみに出され解き放たれていくと、肯定的融合的なものが変わって姿を現す、ということが仮定されている。
 
情緒を変化させるのに情緒をもってすることは変化が起こってからこの新しい一組の情緒をパーソナリティ構造に組み込むために心と知性を登場させることと同様に理にかなったことである。
 
ある意味ではアルコホーリクス・アノニマスで起こっているのはこれである。
 
まず宗教が自己愛に働きかけ中和し、融合の感覚をもたらす。
 
ビル・W氏は自身のスピリチュアル(霊的)な体験を述べるときにしばしば「大きな融合の体験」という言葉を使っている。
 
「そこでは何もかもが初めて私に良く見えるようになったのです。
 
巨大な雲が晴れ上がって何もかもが言いようのない光を放っているようでした」先にあげた二人目の患者はこの点についてこう言っている。
 

 「すべてが寄り集まっている感じで、四方八方に散っていったりはしないのです」
 
そしてこの新しい一連の情緒の光によって、彼は自分のそれまでの問題が何だったのか、再度のトラブルを避けるには今度はどうすればよいのかを、より満足に話し合う事が出来た。
 
この融合の体験があって初めて、彼は自己理解の課題を正直にまともに果たす事が出来るようになったのである。
 

 精神科医にとって教訓は明白であるように私には思われる。
 
我々は情緒的な問題を扱うことを自他ともに認めてはいるが、しかし知性に傾きがちな集団として、情緒をあまり信用していない。
 
我々は自意識が強く、情緒を活用せざるを得ない時にはいささか恥じらう。
 
そして同業者に自分の方法が情緒的すぎると思われるのではないかと気を回して、常に言い訳をする。
 
他方で伝統にそれ程縛られていない他の人々は、われわれに拒まれている成果に向かって突き進んでいく。
 
開かれた心を持った科学者でいるつもりでいる我々にとって、自分たちの仕事の分野での他の人々の成果を長い目で賢明に見ていくことは、最も肝要なことである。
 
我々は、自分の気付いているよりもっと大きな目隠しをまとっているかもしれないのである。
 




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   断酒会「松村語録」より

       語るは最高の治療
     

                        *松村春繁 全日本断酒連盟初代会長(S38.11設立) 
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