断酒会規範 

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全日本断酒連盟            




 1.断酒会は会は酒害者による酒害者のための自助集団であると同時に市民活動団体
 
    である
 2.断酒例会には酒を止めたい人なら誰でも入会できる
 3.酒害体験は姓名を名乗ることを原則とする
 4.断酒会員としての活動は、原則として無償である
 5.断酒会員はあらゆる条件を超えて平等であり、支配者はいない
 6.断酒例会は体験談に終始する
 7.断酒例会は家族の出席を重視する
 8.断酒会は酒害相談はもとより、啓発活動を通して社会に貢献する
 9.断酒会は会費によって運営される、但し補助金、善意の寄付金等は受け付ける
 
    ことが出来る
 10.断酒会は政治・宗教・商業活動に利用されない


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<ザゼンソウ>



「酒」
 
酒害者の家族にとってこれ程
 
恐ろしいものはない
 
辛いものはない
 
苦しいものはない
 
悲しいものはない
 
恥ずかしいものはない
 
大嫌いなものはない
 


 



1.断酒会は酒害者による酒害者のための自助集団であると同時に
 
   市民活動団体である 





 断酒会は、自らの意思によって酒を断とうとする酒害者が連帯してつくった組織である。
 

 断酒会は酒が原因つくられた様々な問題をお互いの信頼関係を通して解決し、新しい人生を創ろうとする酒害者の組織である。
 

 断酒会は、平等な立場で参加した酒害者の主体性によって運営される組織である。
 

 また、酒害者の真の理解者は酒害者であるので、断酒会は自らの断酒のみならず、酒で苦しんでいる地域の酒害者のために何をなすべきかを常に考え、積極的に援助活動をする組織である。
 

 従って、断酒会は酒害者のみによって構成され、あらゆる面での自立を重視する自助集団である。
 
自助とは自らの努力で自らを救うことであり、自助集団とはそうした人たちが集まり、それぞれの力を結集して、より大きな力を生み出す組織のことである。
 

 その大きな力を生み出す原動力は、何といってもわれわれ酒害者同士の一体感である。
 
共通の悩みを持ち、断酒新生という共通の目的を持つわれわれは、お互いが酒害者であるがゆえに融合し、ひとつのおきな力となった。
 
アルコール依存症は不治の病であるという社会の偏見を覆し、現在、数万の酒害者がひたすら回復の道を歩んでいる。
 

 われわれはそのひとつになった大きな力を断酒会と呼び、断酒会があるからこそ個人の断酒があるという、共通した認識を持つようになった。
 
断酒会をひとつの物質にたとえると、われわれはその物質を構成している一つ一つの分子であるということである。
 

 わが国では明治初年より数多くの断酒グループが誕生している。
 
しかし、宗教団体や禁酒組織の中の一部門として生まれたものが多く、上部組織の指導や庇護を受けていた。
 

 酒を飲まない禁酒主義者が、酒の乱用を続けた酒害者に酒の恐ろしさを教え、社会から酒を追放することの重要性を説いた。
 
酒害者は自らが抱えている問題を放棄して、酒があるのが悪いのだと考えるようになった。
 
これは無責任きわまる問題のすり替えであって、酒害者は自分の内面を洞察する力を失った。
 
やがて彼らは、短期間の禁酒の後、再び酒に走るようになった。
 

 断酒グループの運営に必要な経費は、すべて禁酒主義者が賄った。
 
彼らにすれば暖かい援助のつもりであったろうが、酒害者は自立心を養うことができなくなった。
 
何のために、誰のために断酒するのかわからなくなり、再飲酒を始めた。
 
酒害者による酒害者のための組織でなかったことが、長い歴史の中で消えて行く結果につながった。
 
この事実は、酒害者の自立性、主体性の重要さを示している。
 

 昭和三十年代から四十年代へかけて、アルコール依存症の治療に熱心な一部の精神科医たちの協力を得て、多くの断酒会が結成された。
 
しかし、彼らは元来、非支持的な集団療法によっていたので、われわれに深い理解はあっても支持的、支配的傾向はなく、酒害者による酒害者のための断酒会づくりの妨げにならなかった。
 
断酒会が現在でも、医療との協力関係を重視する理由である。
 

 また、断酒会は、飲酒文化の中に独自の断酒文化を創ろうとするいまだかつてない目的を持った組織であるので、ときには偏った傾向に走ったり、独善的になる危険も伴っている。
 
従って、識者の客観的な提言を拒むものではない。
 
酒害者による酒害者の組織であるので、組織のライン上に酒害者以外を入れることはできないが、彼らを顧問、相談役等のスタッフに加えることは原則を侵すものではない。
 

 断酒会は酒害者の組織であるので、回復の程度によって様々な差が生じる。
 
したがって、組織の原則に触れる言動のある会員がいたとしても、彼らを非難したり、罰したりしないこともひとつの原則としている。
 

 断酒会は自らを酒害者だと認めた人の組織であるが、認めていない人の入会も歓迎される。
 
現在認めていないだけで、やがて認めるからである。
 

 断酒会は断酒の意志のない酒害者の入会を受け入れる。
 
断酒意思が潜在していたり、入会後、それを持つようになるケースが多いからである。
 

 指示的、支配的傾向の強い会員でも非難しない。
 
ただし、助言はする。
 
そうした傾向が長く続くと仲間たちの調和を破り、脱落する可能性が強いからである。
 

 自らの断酒のみにこだわって、安定期に入っても酒害相談活動をしない会員には助言する。
 
同じ酒害者であるという認識がなければ、あるいは、苦しんでいる酒害者を支援するという優しさがなければ、われわれの断酒は行き詰まり、失敗につながる恐れがあるからである。
 

 われわれ酒害者が酒害者のために行動するのは、何も地域で苦しんでいる酒害者だけが対象ではない。
 
入会しても断酒ができない会員、断酒ができていても人間性の回復が遅れていて様々なトラブルを起こす会員、そうした人達を援助し、助言することも、われわれの大切な役目である。
 
最後に家族について触れる。
 

 われわれは過去、家族を単に協力者としての視点でしか見ていなかった。
 
献身的な協力を求めることだけで、家族が追い詰められ、苦しんでいることに気づかなかった。
 
やがて、アルコール依存症は家族ぐるみの病気であり、家族も酒害者であり、それから回復する必要があるという認識を持つようになった。
 
酒を飲まない家族でも夫の酒に巻き込まれ、程度の差こそあれ心を病んだ状態の人は意外に多い。
 

 従って、断酒会は家族を酒害者とみなし、組織の一員と考えるようになった。
 
しかし、アルコール依存症そのものではなく、回復の過程もわれわれとはかなりの差があるので、準会員として組織の一員に加えられている。
 

 そのため、会費等の徴収はなく、また、組織の役員としてライン上に並ぶことはない。
 
例会にはわれわれと同じように出席し、同じように体験を語っているが、一方では、家族会、婦人部等の別組織をつくって、われわれの病気の理解と協力に関する意見交換だけでなく、それぞれの酒害からの回復を目指している。
 

 家族も酒害者であるという認識をもっと深めて、彼らの回復のためにわれわれは何ができるのかということを、真剣に考えるべきである。
 




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<キンモクセイ>
外泊の許可が下りて大津支部 例会出席君の断酒の第一歩  



2.断酒会には酒を止めたい人なら誰でも入会できる





 断酒会入会の条件は、酒を止めたいという願望を持っているだけで十分である。
 

 どんな政治思想や信仰を持っていても、断酒会入会の障害にはならない。
 
しかし、断酒会は酒害者が酒を止める会であるので、断酒会の中で選挙活動や布教活動はできない。
 

 社会的地位や名声のある人、経済的に恵まれた人と、どん底の生活をしている人との間には何の差別もない。
 

 断酒会のモットーは自由平等である。
 
どんな高い地位にいる人でも、一人の酒害者であることには変わりはない。
 
そうした認識がなく優越感を持っている人は、すぐ改めて欲しい。
 
優越感は自分の断酒の足を引っ張るだけである。
 

 どん底の貧しい生活をしていても恥じることはない。
 
酒害者が酒を断つ努力の過程では、その真摯な姿勢が評価されるだけである。
 
自分を卑下することは断酒の壁になるので捨てて欲しい。
 

 心身の障害があっても、酒害者でありさえすれば歓迎される。
 
二重、三重の苦痛を超えて努力する姿には、われわれを感動させるものがあるからである。
 

 過去にどんな過ちを犯していても、入会の条件に触れるものではなく、また問われもしない。
 
逆に、泥沼から這い上がろうとする勇気にはわれわれは敬意を表する。
 
酒害者なら誰でも入会できるのが断酒会である。
 

 また断酒会は、こうした無条件に近い条件で入会を認めるので、あらゆる環境、あらゆるタイプの人間が集まった。
 
そして、まじめに生きようとする人間と人間の間には、何の差も元々ないことがわかった。
 
自由平等は原則にとどまらず、現実であることを実証した。



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<クラスペディア>
不安気にドアを開いて足入れば 仲間等優しくわれを迎えり  



3.断酒会員は姓名を名乗ることを原則とする 





 われわれが断酒会員であることを名乗る最大の理由は、それは自分の断酒にとって有利であることに他ならない。
 

 われわれは、自分がアルコール依存になっていることをやっと認めた。
 
断酒会に入会することで、アルコール依存症が恥かしい病気でないことも知った。
 
そして、原則通り自分の名前を名乗っているが、断酒会内部にのみとどめている人が意外に多い。
 

 恥かしい病気ではないと思いながら、社会のこの病気に対する誤解が恐ろしいことと、まだまだ自分の内部にこの病気に対する否定的な気持ちが潜在しているからであろう。
 
姓名を名乗るという断酒会の原則は、誰にでもこの事実を率直に告げるということであるので、勇気を出して断酒の意思表示を広く社会にしよう。
 

 そうすることで、われわれの意識の中にずっと持ち続けていた劣等感が徐々に薄れ、断酒意欲の向上にもつながる。
 
また、社会一般の人たちにとっても、明るく堂々と姓名を名乗っている断酒会員に接することで、従来の間違った認識に疑いを持つようにもなる。
 

 また、社会に意思表示したことでわれわれは、自分の言ったことに責任を持つようになり、自分の断酒姿勢をますます正すようになる。
 
虚栄心の強い人は、そうした断酒の妨げになるものを捨てることができる。
 

 酒に悩んでいる地域の人たちに断酒の喜びを伝えることが、われわれの責任であり使命でもあるが、こうしたことも姓名を名乗らないことには、われわれの存在を知ってもらえない。
 
逆に考えると、匿名でないことが酒害相談を怠けられない原因になり、ますますこの活動に積極的になれる。
 

 酒害相談活動や教宣活動を通して学んだことが、われわれの断酒の糧になっていることは誰にも否定できないが、そうした環境づくりのためにも、姓名を名乗ることは大きな役割を果たす。
 

 またわが国では、酒は冠婚葬祭等の儀式には欠かせないものであり、また、人間関係を円滑にするためあらゆる機会を捉えて酒席が設けられる。
 
そして、そこに出席することが半ば義務化している。
 

 われわれはそうした場所に出ることを極力避ける必要があるが、止むを得ず出席した場合、断酒会員であることを明確にしなければ、断りきれずに失敗することすらある。
 
健康上の理由で断っても、少しぐらいならからだによい、と強要されるのが普通である。
 
わが国の飲酒文化は、いかに上手に相手に酒を勧めるか、ということを重視しているからである。
 

 そんなとき断酒会員であることを告げ、断酒の意思をきちんと示せば、まず強要されることはない。
 
自らを酒害者だと認めて断酒会に入会した人間に、その組織のルールを破ってまで飲めといえる人間はいないのである。
 

 有言実行という言葉が断酒会ではよく使われる。
 
自分の意思を具体的な言葉に変え、それを行動に移すことが、酒害者がアルコール依存症から回復するために大きな効果がある。
 
その最初にあるものが姓名を名乗ることである。
 

 姓名を名乗ることで断酒が不利になる場合は、匿名も許される。
 
われわれにとって一番大切なことは断酒であり、それを永続きさせることであるからだ。
 

 女性酒害者に対する社会の誤解、差別は、男性酒害者に比べると格段にひどい。
 
「女だてらに、母親たるべき者が」という軽蔑の目で見られている。
 
深く理解しているはずの家族でも、そうした風潮に勝てない場合もある。
 

 従って、当人が姓名を名乗る意思があっても、夫や子供に止められることがある。
 
そうした反対を突き破ってまで名乗れない場合、外に向かっての意思表示をしなくてもよい。
 
意見対立で家族同士が不仲になると、断酒まで不利になるからである。
 
名乗ってもよい時期がくるのを待てばよいのである。
 

 男性会員でもアルコール依存症を全く理解していない職場にいると、断酒会員であることを告げることで、様々な差別を受けることが稀にある。
 
断酒している当人の姿勢によってはこの差別の壁は打ち破れるが、断酒初期にはそうした毅然とした態度を取れない人もいる。
 
そのときがきたら意思表示をしてもらいたい。
 

 アルコール依存症という病気に、自分自身の偏見が捨てられず、恥かしいという理由だけで匿名にこだわる会員もいるにはいる。
 
その恥かしさを乗り越えられないことが、再飲酒を招くことにもなりかねない。
 

 しかし、断酒会は自由で強制はないので、無理に名乗れとはいえない。
 
断酒が継続されれば病気の認識も変わる。
 
劣等感から早く抜けて欲しいものである。



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<クリンソウ>
酒飲まぬ我も病気と教えられ 納得せぬまま通う例会  



4.断酒会員としての活動は、原則として無償である  





 われわれの断酒活動は意外に費用がかかる。
 
積極的に取り組めば取り組むほど金額がかさむ。
 
日常的に開かれている断酒例会、全断連主催のブロック大会、全国大会、加えて、各地で盛んに開催されている研修会、断酒学校、記念大会等に参加することによって、われわれには過去の飲酒代に匹敵する出費がある。
 

 しかし同じ出費であっても中身がまるで違う。
 
一方はひたすら破滅の道を辿るための経費であり、一方は新しい人生を生き抜くための経費である。
 
すべてが幸福の追求のため支出されているので、誰も惜しいと思わない。
 
自前であるのは当然のことである。
 

 酒害相談活動は意外に時間がかかる。
 
相談者は、酒を飲み続けるか断つかの二者択一という簡単なことだとは決して思っていない。
 
酒を止めたくてたまらない反面、飲みたくてたまらない欲求にも駆られているので、そうした心の葛藤が整理されるのに要する説得の時間は膨大なものに成る。
 

 また、酒害相談は夜間だけとは限らない。
 
急を要する相談を受けた場合は昼間でも、自分の仕事を放棄して駆けつけることがある。
 
酒害相談活動に積極的になると収入が減るというのは事実である。
 
しかし、どんなに時間を費やしても、どんなに収入が減っても、酒害相談活動は無償である。
 

 われわれは断酒することによって、自分を愛することができるようになった。
 
家族との愛も復活した。
 
断酒仲間は勿論、自分の周囲にいる人たちまで愛せるようになった。
 
人間愛という最高の愛を自分の手にした今、過去の自分と同じ悩みを持つ人たちに奉仕することは、当然過ぎるほど当然なことである。
 

 また、われわれが悩み苦しんでいた頃、先輩会員がわれわれのためにしてくれたことを思い出せば、酒害相談活動が有償であってよいわけがない。
 

 われわれがやっと断酒に踏み切り、酒のない生活に歓びを感じ始めたとき、「何かの形で恩返しをしたい」と申し出ると、「同じことを酒で悩んでいる人たちにして欲しい」と断られた。
 

 受けた恩は次の人に、次の人はそのまた次の酒害者につなぐことが、断酒会式の恩返しだと教えられた。
 
これは断酒会員ならではの愛であり、断酒会の尊い伝等である。
 

 酒害相談以外の、断酒会員が他の会員のためにする行為も無償である。
 
同志愛がさせるものであるからである。
 

 広く社会に向かって行われる酒害啓発活動も無償である。
 
広い視野で考えると、酒害者をつくらないこともわれわれの酒害相談活動の中に入るのである。
 

 ただし、例外も若干ある。
 

 現在の全断連及び地域断酒会の事務処理は、会員たちの奉仕活動によって保たれているが、将来組織の拡大が進み、断酒会員を専従職として雇用する必要が生じたときは有償とする。
 
自分の職を捨てて断酒会の仕事のみに従事する会員が無償であることは、無理がありすぎる。
 

 また、組織の役員たちが、組織を代表して公的な会議に出席する場合は、交通費程度は支払われてよい。
 
そうでないと、経済的に恵まれた人のみが役員にならねばならず、信望のある人が選ばれるという原則が崩れるからである。
 
ただし、支給される交通費は機関の承認を得て予算化されたものである。
 

 われわれの活動が無償であるからこそ、われわれは愛に満ちた日常活動に生き甲斐を感じているのである。
 




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<クレマチス>
あの人も我と同じの悩み持つ 仲間と知りて勇気涌きたり  



5.断酒例会はあらゆる条件を超えて平等であり、支配者はいない





 酒害者の断酒を可能にする理由を一言で、と答えを求められると、「断酒会が実践第一主義の集団だから」と説明するしかない。
 

 万事合理主義が幅を利かしている現在、断酒例会にひたすら出席して、今日一日、今日一日と断酒の日を積み重ねているわれわれの断酒法は、余りスマートでないかもしれない。
 

 時間と労力を使ってあちらこちらの例会に出席しなくても、アルコール依存症の病識を徹底的に頭に叩き込み、自宅で自らを内観すれば、あるいは酒を飲まなくなるかもしれない、と思うこともあるだろう。
 
しかし、そうした形の断酒を目指して成功した人はいない。
 

 やはり、酒害者が酒を断ち、それを継続していくためには、からだを使って例会に出席し、足を使って酒害相談に駆けめぐり、そうした行動の中で酒害者同士が信頼を深め、自分を知る努力をするしかない。
 

 であるとしても、膨大な時間と労力を要する苛酷ともいえる努力を、どうしてわれわれは進んで行っているのだろうか。
 
それは、例会が魅力に溢れているからである。
 
われわれを引きつけて止まないからである。
 

 断酒会は企業や組合のような縦組織を持っているが、われわれにとって一番大切な例会に関しては、組織として機能するのは例会場の設営までである。
 

 例会の中身は、役職や断酒歴に関係なく平等な立場で参加したわれわれがつくる。
 
縦組織とはまるで関係のない横一線の形で進められる。
 

 会長や支部長が参加者に訓戒を垂れるわけではない。
 
断酒歴の長い会員が、新しい会員に酒の止め方を教えるわけでもない。
 
司会者が会員の発表に論評を加えるわけでは勿論ない。
 
われわれはひたすら自分の酒害体験と内面を語り、聞く。
 
そこには感動と安らぎがある。
 
例会の中に広い海のような自浄力が生まれる。
 

 断酒会が自由、平等を尊重する組織であることを一番わかり易く説明できるのがこの例会である。
 
三十年断酒している会員と、昨日まで飲んでいた会員の間には何の差別もない。
 
それぞれが自分を自由に表現するだけである。
 
発表内容についても自分自身のことだから、誰にも指示されず、誰にも気兼ねすることはない。
 
その日のテーマがあったとしても、特にこだわることはない。
 
今一番話したいことを話すだけである。
 

 例会の二時間という時間帯も、参加者全員に平等に配分される。
 
司会者の唯一の役割は、その公平な配分ぐらいのことである。
 
ただ、自己表現のよくできない新入会員が、焦ってつまったり、本心とは逆の方向に走り出したときには、彼を落ち着かす言葉をかければよい。
 
現在悩み苦しんでいる会員が、苦痛を面々と訴えているときは、時間が少々オーバーしても許してやったらよい。
 

 独特の断酒論を押し付ける会員、お説教ばかりする会員、ひいては例会そのものを取り仕切ろうとする会員。
 
そうした支持者や支配者がいない例会は、自分を率直に語れ、人の話を謙虚に聞くことができて収穫が多い。
 
心身の疲れが取れるので、少々疲れていても欠席することはない。
 

 われわれは入会以来、どんな差別も受けなかった。
 
古い会員は新しい会員に比べると確かに断酒歴は長いのだが、断酒会は断酒歴が長いからといって特別扱いをしなかった。
 
なぜなら、両者ともアルコール依存症という同じ病気を持っており、この病気から回復するためには酒を飲まないことと、自分の人間として在り方を生涯考え続けるという、共通した方法をとらなくてはならないからである。
 

 新しい会員に比べ数倍、数十倍の断酒歴のある会員でも、長い断酒生活の中で断酒に取り組む姿勢が消極的になると、人間的な成長も止まり、あるいは後退し、危険な状態になることもある。
 

 一方、つい最近まで飲酒していても、再び真剣に断酒に取り組むようになった会員は、ひたすら人間として成長を続け、全く不安を感じさせないのである。
 
断酒会は社会一般の組織と違って、新しい、古いの比較で優劣の論じられない世界である。
 

 しかし、残念なことに、断酒歴の長い人達の中にその実績を誇り、自らを優れた断酒会員であると自己評価している人もいないわけではない。
 

 確か十年、二十年と真剣に断酒に取組んでいる人たちはその努力の過程で大きな収穫があり、それが蓄積された結果、人間として大きく成長する。
 
そして、他の会員達から高く評価されるようになるが、そうした人たちは決して自らを過大評価することはない。
 
逆に、新しい会員たちから学び取るべきだと考えており、なぜ例会では平等でなくてはならないかについても、きっちりした判断をもっている。
 

 そうした立派なベテラン会員たちは、例会に出席しても決して平等の原則を犯すことはなく、新しい会員と一体になってすばらしい雰囲気を作るが、自分を過大評価している古い会員は、原則を犯し、雰囲気を破戒し、その例会の衰退の原因となる。
 

 支部長がもしそうした人間だったら、その支部例会を支配しようとするであろう。
 
まず、支部の将来展望について、得々と抱負を語るであろう。
 
そして、支部員としてのあり方について厳しい注文をつけるであろう。
 
自分の酒害体験などほとんどしゃべらないで、二時間の例会の時間帯の五分の一は使い、参加者はうんざりするか、反感を持つことになる。
 

 正しい例会の持つ、和やかな中にもピリッとした雰囲気はなく、とげとげしい空気が流れるか、ざわめきだけでまるで緊張感がなくなってしまうだろう。
 
彼なりの使命感がさせる発言であろうが、例会を駄目にすることには変わりない。
 

 支持的、支配的傾向の強い人なら、自分独特の断酒論を展開し、「おれについてこい」というかもしれない。
 
自己批判をする勇気はなく、酒害体験を語ったとしても、単なる武勇伝に終わってしまうかもしれない。
 

 司会者が支配者になってしまうと、もうその例会は全く機能しなくなる。
 
一人ひとりの体験発表が終わるたびに、いちいち批評するだろう。
 
自分好みの発表は極端に褒め、反対の場合は注意したりする。
 
あまりに発言の回数が多いため例会の流れは止まり、変に白々しい雰囲気になる。
 

 とにかく、支持的、支配的傾向の強いベテラン会員が、われわれにとって一番大切な例会を駄目にする。
 
われわれも深く注意するべきである。
 

 例会をリードするのは役員、ベテラン会員、司会者等であると考えている人がいるかもしれないが、それは大きな誤りである。
 
例会は特定のリーダーを必要としない。
 

 参加者全員が原則通り、只ひたすら自分を語ることですばらしい雰囲気ができ、苦しみ悩んでいる会員が、例えば馬鹿馬鹿しいと思われることでも本音を正直に語ることで感動が生まれる。
 
ベテラン会員が少しも思い上がらず、深い洞察力でじっくり自分を語れば、和やかさと緊張感が同時に生まれる。
 

 例会のリーダーシップを取るのはそうした複数の会員であり、ときには全員がリーダーになる。
 

 断酒会は例会中心の組織である。
 
縦の関係より、横の関係のほうが何倍も重要である。
 
断酒会は平等という横の関係でほとんどの問題を解決している。
 
縦組織を持ちながら横関係を重視するのは、同じ病気からの回復という共通の目的を持っているからである。
 
断酒会は特殊な組織であり、企業や組合と同じ縦割りになっていても、本質的にはまるで違うということである。
 縦組織のリーダーとして選ばれた人達は、それなりの人格、識見、行動力のある人であるが、その能力を発揮するのは組織の運営だけである。
 
どんなに彼等が優れた人間であったとしても、組織から与えられた権限を例会にまで及ぼすとせっかくの人望を台無しにし、ついには、断酒会そのものを衰退さす。
 

 例会には酒害者でありさえすれば、あらゆる条件を超えて参加できる。
 
過去数え切れないほど失敗した会員でも、何の非難もされない。
 
現在飲酒していても、酔っ払っていない限り発言できる。
 
自分を失うほどの状態のときは、参加者によって制止されるが、それは例会の雰囲気を壊すことよりも、当人が素面になったとき恥ずかしい思いをさせないためである。
 
発言内容によっては、自らを恥じて二度と出られなくなることがあるからである。
 

 入院中の患者さんが出席しても、地域から直接参加しても、会員と同じ扱いを受ける。
 
家族の場合も同様である。
 

 断酒例会は常にオープンであるので、見学したい人はいつでも出席できる。
 
医療、行政関係者、マスコミ、一般市民等の参加を拒まない。
 
例会を通してわれわれを広く知ってもらいたいからである。
 
情報を通してしてだけの知識には、われわれに対する誤解が多すぎるからである。
 

 現代社会で自由平等思想が一番具体的に表現されているのが、われわれ酒害者によって持たれている断酒例会である。
 




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<クロタネソウ>
それぞれの生き様語りぬ断酒会 真にうなづき真に泣かさる  



6.断酒例会は体験談に終始する 





 人は日々の生活体験を通してやさしさを育み、歪みをつくる。
 
豊かな人間性を育て、壊す。
 
長い人生の中で様々に変化する。
 
そうした自分史をじっくり語ることによって、自分とは何か、生きるとはどういうことか、という人生の大テーマがくっきり浮かんでくる。
 
体験談以上に重みのある話はない。
 

 中でもわれわれ酒害者のどん底体験はドラマチックである。
 
ごく普通の生活から、酒のためとはいえ一転して敗者の暮らしに転落した。
 
その泥沼から這い上がろうとしてはすべり落ちた。
 
結果として自己破壊が進み、ついには自己喪失という最悪の状態にまで追い込まれた。
 

 それが断酒会にめぐり逢うことによってまた一転し、喪失から獲得へ、依存から創造への道を歩んでいる。
 
人生をスポーツにたとえると、われわれは一回きりのトーナメント戦を戦っているのではなく、リーグ戦を中盤から勝ち進んでおり、人生の敗者でなかったことを実証した。
 
その自分の酒害史と心の奇跡をじっくり語れば、もうこれ以上重い話はないであろう。
 

 断酒会結成直後の高知の例会では、体験談はあまり語られていなかった。
 
例会は月2回であり、半月ぶりに顔を合わせた出席者達は、お互いの断酒を確認し、奮闘を讃え合った。
 
そして、今後の検討を誓い合って散会した。
 

 体験を語るとしても、酒害ではなく酒歴のほうを少し話す程度であった。
 
何歳ごろから飲み始めたのか、どんな場所でどのくらいの量を飲んだのか、どれだけの借金をつくったのか、アル中になったのは何歳ぐらいであったのか、酒乱型だったのかおとなしい方であったのか、といったような話で、一度聞けば二度と聞く必要のないような体験談であった。
 

 結成翌年の昭和34年は七十名近い入会者がありながら次々と脱落し、唯一人も断酒に成功する人はなかった。
 
そのことで全員断酒できていた結成メンバーたちは悩み、苦しみ、その原因を真剣に探るようになった。
 

 その翌年の昭和35年の入会者も、前年同様落伍者ばかりであった。
 
ところが、最も早く脱落しそうな感じの某のみがきっちり断酒できていた。
 
某はただ一人、妻を伴って例会に参加していた。
 
会長の松村春繁(初代全断連会長)はそれを見て、理由はよくわからなかったが家族の出席を促すようになった。
 

 当時の会員は明治、大正生まれの人が圧倒的に多く、自分の問題は自分で解決すべきだ。
 
家族に協力を求めるのは男の恥であると考えていたので、某の妻以外の出席はなかったのである。
 

 会員と同じ扱いを受けた妻たちは例会で、夫の酒の問題と、それに巻き込まれた自分の苦悩の体験を面々と訴えた。
 
ときには夫の悪口もあったが、それが参加者全員に感動をもたらし、例会の雰囲気を変えた。
 
松村は家族の参加の重要性を敏感に悟った。
 

 松村は例会で自分の酒害体験を話すことは稀であったが、以後、じっくり語るようになった。
 
彼は、断酒会結成の1年半ほど前から自分ひとりで断酒していた経験があり、一人だけの断酒が可能だった原因を、ただひたすら自分のひどい酒の記憶を掘り起こし、当時の自分の心の動きを克明にノートに綴って反省したことにあると思っていたので「例会は体験発表に始まり体験発表に終わる」と例会のあり方を位置づけた。
 
以来、断酒に成功する酒害者が格段に増え、現在ではこの考え方がごく自然に断酒会の原則となっている。
 

 われわれが例会で発表する体験談はかなり幅広いものである。
 
問題飲酒を始めた頃から断酒するまでの酒害体験、断酒してから今日までの様々な苦痛と喜びの断酒体験、そして、自らの酒害、断酒体験を通してつかんだものを基礎にした今後の自分のあり方。
 
そうした流れの中の自分を語ることが原則通りの体験発表である。
 

 しかし、一番の柱になるものは何といっても酒害体験である。
 
酒に振り回されて行った様々な人間らしさを欠いた行動、あるいは非人間的ともいえる行動。
 
その行動の繰り返し中で進んだ自己破壊。挫折、絶望感の末にあった自己否定。
 
そして、最後に待っていた自己喪失。
 

 酒と酒害者の本質的な関係をきっちり示してくれるのは、酒害によって引き起こした非人間的な行動である。
 
逆に考えると、そうした行動そのものが酒害である。
 
当時のわれわれは、酒の命じるままにしか動けなかったからである。
 
そうした酒害による自分の行動をしつこく掘り起こすことで、酒害の恐ろしさが見えてくる。
 

 しかし、そうした酒害行動を話すだけでは十分ではない。
 
もっと大切なことは、そうした行動の中で自分の心の動きを語ることである。
 
そうでないと、酒で歪められた自分の本当の姿が見えてこない。
 

 たとえば、Aの酒害行動と心の動きを例にとると、
 

 妻と子供が粗末な晩飯を食べているところへAが帰ってくると、飲み代を支払ってもう半分も残っていない給料袋を妻に渡した。
 

妻は中身を改めると、Aを睨みつけて、「お父さん、これぽっちのお金でこれからどうやって食べていくんですか!」と叫ぶようにいった。
 
Aは一瞬びくっとしたが、妻を睨み返すと、「人間、道端の草を食っても生きていけるわ!」と叫んで、荒々しく家を出て行った。
 

 この場合、A が酒害のためとった行動は、給料の半分以上をだらだらと飲んでしまったことと、妻に非難されると暴言を吐いて家を出ていったことである。
 

 心の動きの方をAは次のように話した。
 
「給料をまるまる持って帰ったことのない自分を反省しながら、恐る恐る給料袋を妻に差し出したところ、妻に攻撃された。
 
妻の言うことは当然だと思いながら追い詰められたような気持ちになり、つい妻を傷つける言葉で応じてしまった。
 
この暴言は私の悲鳴であり、いたたまれなくなって外に出た私は、自己嫌悪の塊になっていたと思う。
 
しかし、家を出てからまた酒を飲みにいったことは、自分がいやになって飲みたくなったのではないかもしれない。
 
給料をかなり残してあることで、俺はまだまだ最低の酒飲みではない。
 
であるのに、妻は憎しみと蔑みをこめて責めた。
 
そのことで腹を立て、目には目をと考えて暴言を吐き、うっぷんを晴らすために酒に走ったと考えることもできる。
 
どちらが本当なのかよくわからないが、どちらも事実であると考えるようにしている。」
 

 Aは体験発表で自分の行動と心理の両方を語った。
 
そのため、酒害がさせた人間らしさに欠けた行動と、自己破壊が進み始めていた自分の心を同時に知ることができた。
 
それがAに酒の恐ろしさを再確認させ、心の内側を洞察する力をつける。
 
そして、これからの断酒と自己改革に大きな力を発揮する。
 

 Aの体験を聞くことによって、Bは記憶のかけらもなくなっていた自分の似た体験を思い出すことができた。
 
Bの酒害行動と心の動きは次の通りである。
 

 妻と幼い子供が梅干だけのおかずで晩飯を食べているところへB が帰ってくると、ほんのちょっぴりしか残っていない給料袋を妻に渡した。
 
妻は中身も改めないでBを睨みつけると、「お父さん、これぽっちのお金で生きていけると思っているんですか」と暗い声でいった。
 

 Bは飯台の前にどっかり座ると、
 
「戦争中はなあ、米の飯を食うことなんかめったになかったよ。米と梅干がありゃ、十分生きていけるさ」
 
といって腰のポケットから出したウイスキーを飲んだ。
 

 この場合、Bが酒害のためとった行動は、家族の生活のことをまるで考えないで給料のほとんどを飲んでしまったことと、妻に非難されても何も感じず、逆に、お説教めいた話をしながらウイスキーを飲んだことである。
 

 心の動きの方をB は次のように語った。
 
「Aさんの体験談を聞いたことで、その夜の記憶がはっきり戻り、その場の情景もくっきり浮かんでくる。
 
後ろめたさのかけらもなかった。
 
最低の食事をしている妻や子を哀れだとも思わなかった。
 
人間らしい感情がなくなっていたためであろう。
 
幼い息子が小さくなって梅干をなめている姿を思い浮かべると、いまさらながらに胸が痛む。
 
妻には土下座をして誤りたい気持ちである。
 
しかし、十年近くも経って、そのときの自分の心が見えるとは奇跡だ。
 
Aさんに感謝する」と。
 

 例会のマンネリ化が話題になることが稀にあるが、原因は例外なく、それぞれの酒害体験が語り切れていないことにある。
 

 簡単にマンネリ化する例会では、体験が語られていてもそれが単なる酒歴に終わり、酒害の部分がほとんど語られていないことにある。
 
したがって、話題のなくなった会員たちは、それぞれの断酒論を闘わせたり、人の話を批評したりするようになる。
 
もっと悪い、酒の止め方の指導まですることもある。
 
例会の雰囲気が悪くなり、十分に機能しなくなる。
 

 酒害行動が話されていても酒害心理の方が語られていないと、やがてマンネリ化につながる。
 
前述したように酒害体験とは両者を含めたものを指す。
 
われわれは酒のため、身体だけでなく心も病んでいた。
 
その病んでいた心に迫ることができなければ、語られている酒害行動の原因も意味もわからなくなってしまうからである。
 

 それに、誰かがマンネリ化しそうになったとき、それぞれの酒害体験が防いでくれる。
 
Aの体験談から、Bが自分の酒害体験を掘り起こすことのできたのが、その具体例である。
 

 それぞれの酒害体験がきちんと語られている例会には、マンネリ化などはないのである。
 

 断酒体験をじっくり語ることも非常に重要である。
 
断酒できたからといっても、飲酒時代に病んだ心が急回復する人は珍しい。
 
われわれは例会に参加して、酒に支配されるようになった頃から現在までの心の軌跡を辿ることで、心の病んでいる部分を認識し、改善への努力をする。
 
そうして断酒後のわれわれは着実に回復するのである。
 

 かつての飲み友達を見かけると、あわてて逃げ出したりする。
 
断酒への努力は誇れることであるのに、飲酒時代の見栄が劣等感に姿を変えていたりする。
 

 飲酒時代から引きずっている自己中心性から抜けられず、家族の話に耳を傾けることができない。
 
自分の考え方を一方的に押し付けて、家族を失望させる。
 
夫婦喧嘩になることもある。
 

 断酒が長く継続されても、酒以外のことに積極的になれなかった頃の癖が治らず、自分のやるべきことがどうしてもできない。
 
何から何まで今でも家族に頼っている。
 

 そうした様々な行動を通して、その裏で働いている自分の心理を知ることが、今後のわれわれにとって必要不可欠なものである。
 
それができなければ、断酒継続すら危ういのである。
 

 酒に支配されていた頃身についた、自分にとってマイナスになる発想、価値観を転換するためには、現在の自分の行動と心理を事実通り話すしかないのである。
 
ただし、事実を語ることによって家族や周囲の人たちが傷つく恐れがある時は、慎重になってもらいたい。
 
人を傷つけても平然としているようでは、なかなか回復できないのである。
 

 酒害体験、断酒体験と語りついでいくと、必ず将来の自分のあるべき姿が浮かんでくる。
 
それを語ることも重要であるが、体験談の最後にあるもので、しかも願望であるので、そんなに詳しく話すことはない。
 
詳しくなりすぎると単なる理屈になってしまって、例会の雰囲気を壊すことがあるので注意を要する。
 

 例会では自分の体験のみが語られている。
 
自分をひたすら語り続けることで、われわれは自分の物語を持つようになった。
 
詳細で、洞察に充ち、他のどんな人が持っている物語より価値がある。
 
自分を変える力を持っているからである。
 

 それだけではなく、この原則さえ守られていると何の問題も起こらず、われわれは常に魅力に溢れた例会が持てる。
 
人の体験談に注文をつけることは不可能であるので、例会の中で意見対立や感情対立はありえないのである。
 

 もし司会者に優れた能力が要求されるようなことがあったら、その例会が原則から外れたものであるので、ぜひ改めてもらいたいものである。
 




 
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<クロッカス>
赤裸々に隠す事なく我慢なく 言葉に出来る例会うれし  



7.断酒例会は家族の出席を重視する 





 われわれ酒害者の断酒にとって、家族の協力は必要不可欠なものである。
 
しかし、何故協力が必要なのか、どんな協力方法があるのかは、家族が例会に出席しないことにはわかってもらえない。
 

 家族たちは例会に出席することによって、多くの先輩会員やその家族の体験談を通して、アルコール依存症という病気の実態を知り、今まで考えても見なかった配偶者(もしくは親、子)の内面を知ることができる。
 
そして、この病気と酒害者に対する認識を変えないことには、配偶者が回復できないことを知る。
 
つまり、協力より先に酒害の理解があることを理解する。
 

 また、アルコール依存症という病気は、われわれ酒害者が酒にすべてを支配される病気であると同時に、家族を巻き込んでしまう病気でもある。
 
したがって、酒害者である配偶者と生活を共にすることで、家族は大なり小なり心を病むようになる。
 
連日の不安と苦痛が原因である。
 

 その結果、配偶者との間に誤解が生じ、不信感が深まってくる。
 
人によっては憎しみさえ持っている。
 
長い時間をかけてそうした否定的な関係になっただけに根深いものがあり、家族自身の心にも歪みやひずみを生じている場合がある。
 
であるので、配偶者が本気で断酒に取り組もうとしても、例会に出席しない家族が考えた協力法は、時には配偶者の足を引っ張ることがある。
 

 また、そうした家族自身に生じた心のひずみを治さないことには、配偶者が断酒できたとしても、夫婦の関係は改善されない。
 
家族も例会に出席して自らの病んだ部分を回復させるべきである。
 

 断酒会は、家族に対して協力のみを要請するものではない。
 
家族ぐるみの病気であるアルコール依存症から、共に回復していく組織である。
 
断酒会が家族の例会出席を重視する所以である。
 

 断酒初期の酒害者に家族のとる態度は様々である。
 
優しく気長に見守ってやらねばならないケースもあれば、冷たく突き放すことによって、厳しい愛の姿を見せねばならない場合もある。
 

 また、献身的な愛は賞賛されるかもしれないが、いつまでも優しい配慮を続けていると、配偶者の自立の妨げになることもある。
 
またそのことによって、家族はいつまでも主体性のある生活を取り戻せない。
 
厳しい対応ばかりしていると夫婦の関係が冷えてしまい、断酒できたのに家族のトラブルが絶えないようになる。
 
そうした難しい問題も、例会に熱心に出席していれば自然に解決法がわかる。
 

 社会一般の夫婦と違って、われわれ酒害者夫婦は例会を通しての対話が必要である。
 
それが続けられる中で、酒害の理解、夫婦相互の理解が進み、夫婦それぞれが抱えている問題等が詳しくわかる。
 
われわれは自分自身の問題だけでなく、家族が持っている悩みや問題の解決に積極的に協力するようになる。
 
それができることが、われわれの回復の証でもあるからだ。
 
酒害者夫婦が家庭内だけでしか対話を持てないと、誤解が生じることはあっても理解が進むことはない。
 

 断酒会は、家族を会員と同じであると思っている。
 
例会でも会員と同じように体験を語ることができる。
 
家族が話してくれる、まるで記憶のないわれわれの酒害行動が、それぞれの記憶を取り戻させ、断酒継続への大きな力となっている。
 

 家族がわれわれのことを語り続けてくれることはわれわれにとって非常に重要だが、家族自身にとっては、自分の体験を語ることが最も重要である。
 
われわれの酒に悩まされ、苦しみ、そうした生活の中で揺れに揺れた自分の心の動きを語ることで、自分の持っている自分の病んだ部分を回復させることができるからである。
 

 われわれが自分の酒害の詳細な物語を持っているように、家族も酒害に巻き込まれて生きてきた自分の物語を持てば、自分の心の軌跡を辿ることができ、より早く回復できる。
 

 酒害者が加害者であり、家族が被害者であるという考え方が一般的である。
 
それは否定できない事実であるが、家族がいつまでも被害者意識を曳きずっていると、自らの回復が遅れる。
 

 配偶者の断酒が続き、人間性が回復され、家族のために何ができるのかと真剣に考え、それを行動に移し始めているのに、そうした配偶者を許してやれない家族がいる。
 
被害者意識から脱却できないためである。
 

 われわれにしても、加害者意識が強すぎると非常に危険だ。
 
しかし、過去の過ちを認め、迷惑をかけた家族に償いをすることにしているので、加害者意識がどうしても少し残る。
 
それに比べると、家族が被害者意識を捨てることはそんなに難しいことではない。
 
これからの家族の幸せのためにも、配偶者を許す努力をして欲しい。
 

 断酒会には家族会や婦人部があり、自分たちだけの例会も持っている。
 
家族だけでなければ話せないこともあるからである。
 
こうした例会で、回復の遅れている家族の話を聞き、それぞれの体験を持ち寄って助言しているが、非常に知恵のあるやり方である。
 

 アルコール依存症は家族ぐるみの病気であるので、家族ぐるみで治していかねばならない。
 
そのために、家族ぐるみで例会に参加するのである。
 




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<ゲッケイジュ>
生の声 生の姿 真に受く例会の場に魂ゆさぶられる  



8.断酒会は酒害相談はもとより、啓発活動を通して社会に貢献する 





 断酒会員の誠意ある説得で断酒会につながり、現在、「断酒幸福」を自らの手にした人は数え切れない。
 

 われわれは断酒できた歓びを断酒会に感謝すると同時に、時間と労力をいささかも惜しむことなく、われわれのために誠意の限りを尽くした先輩会員に心から感謝している。
 
そして、そうした人間愛に充ちた行動が一部の会員に限らず、断酒会員全員の使命であり、断酒会の伝統であることを知った。
 

 会員同士の一体感が自らの断酒を可能にし、断酒会を支える最大の力になっていることも知った。
 
また、その一体感が会員だけに限らず、広く酒害者同士にもあるべきものだと理解し、現在、積極的に酒害相談活動に取り組むようになった。
 

 従って、断酒会は自らの断酒のみならず、酒で苦しんでいる地域の酒害者のために何をなすべきかを常に考え、積極的に援助活動をする組織である。
 
援助活動の大半は酒害相談であり、われわれの義務といえるものである。
 

 また、われわれの活動は、酒害相談活動にとどまるものではない。
 

 近年、アルコール依存症に対する関心が高まり、われわれ断酒会員の役割は、酒害者だけが対象ではない時期になっている。
 

 断酒会は元来、酒害者が自らの意思によって酒を断つ組織である、という認識で現在まで成長してきたが、もう一歩踏み込んで考えると、断酒会は酒害者の最後のひとりも残さないという大目的を持つ組織であり、それは断酒会を必要としない社会をつくることでもある。
 

 そうした悲願を達成するためには、酒害相談のみならず広く社会に向かって、酒害の恐ろしさを伝え、酒害者をつくらないための酒害啓発活動を行う必要がある。
 
酒害の知識のない人、誤った知識を持っている人たちを啓発することで、過去、社会に何の貢献もできなかったわれわれが、社会に貢献し、社会にとっても必要な人間になることができる。
 

 断酒会は廃酒思想を持っていない。
 
社会に酒のあることを容認しながら、自らの酒を否定する組織として発足したため社会に受け入れられた。
 
断酒会は会員が姓名を名乗るという原則を持つことによって、個々の存在が知られ、地域の多くの酒害者の断酒を可能にした。
 
断酒会活動の最後にあるものは酒害者をつくらないために啓発活動である。
 

 問題飲酒が始まっているのに、自分を適正飲酒者だと思っている人がいる。
 
家族は悩んでいるのに当人は何の不安もない。
 
そうした家庭に酒害の実態を伝えるのも断酒会の仕事である。
 

 挫折が原因で一時的に酒を乱用している人を、われわれと同じ酒害者にしないため、酒害の正確な情報を伝えることも断酒会の役目である。
 

 適正飲酒ができていても、将来に不安を持っている人や家族がいる。
 
そうした人たちの相談に乗り、転ばぬ先の杖になるのも断酒会の役目である。
 

 まだ飲酒経験ない若者たちに酒害の恐ろしさを伝えるのも、反面教師としての断酒会の役割である。
 
学校教育だけでは本当の恐ろしさが充分理解されないと思うからである。
 

 そうした幅広い活動がなされることによって、断酒会の存在価値が広く社会に浸透し、今後の断酒活動をより容易にする。
 




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<コスモス>
夫婦して同じ時間に同じ場所 同じ目的二時間学ぶ    



9.断酒会は会費によって運営される
 
   但し補助金、善意の寄付金等は受け付けることが出来る 





 断酒会は酒害者による酒害者の組織であるという認識が、どんなに重要なものであるかをわれわれは知った。
 
この言葉の持つもっとも重いものは、断酒会は断酒会員の主体性のある運営によるものでなければならないということである。
 
従って、断酒会の運営に必要な経費はわれわれの支払う会費によって賄わなければならない。
 
そして、われわれの支払う会費は会の運営に役立つだけでなく、自分自身に大きな収穫となって還元される。
 

 価値のあるものに金を支払い、ないものには支払わないのが人間の法則である。
 
われわれが会費を支払うのは、断酒会があるからこそ自分の断酒があるのだという、もう絶対的ともいえる価値観を断酒会に持っているからである。
 

 入会当初は、そんなことはわからなかった。
 
苦痛と歓びが交錯する断酒生活を続けるうちに、何から何まで一方的に断酒会に依存していては、自分の断酒は危ないものだと考え、やがて、自分は断酒会を支えている一本の柱でもあるという自覚を持つようになった。
 
自分の断酒に必要な経費は自分が支払うしかない、会費の支払いはその最初にあるものだ、と考えるようになった。
 
自立心の芽生えである。
 

 断酒会に対して価値を認められない人たちは、会費を滞納するようになる。
 
滞納することによって例会出席が消極的になり、やがて落伍する。
 
会費を払わなくてすんだものの自分の人生を投げることになる。
 

 同じような傾向のある人でも、会費を支払うためしぶしぶ例会に出席しているうちに、いつの間にか断酒姿勢が変わり、断酒会と自分の断酒に価値を見出すことになる。
 

 断酒会は自助集団だから、自分に必要な金は自分が支払わなければならないといってしまえばそれまでだが、会費を支払うことはわれわれにとって、必要不可欠な断酒法の一つである。
 

 もし断酒会が、国や地方自治体の補助金や個人の寄付金のみで運営されるようになったら、いったいどんな事態を招くことになるだろうか。
 

 われわれが飲酒時代に身につけた依存的傾向は少しも改善されないだろう。
 
従って、自立心の回復もないだろう。
 
他人まかせの会員たちばかりになり、会はまるで活気のないものになるだろう。
 
ついには、われわれは断酒することの意味もわからなくなり、会の崩壊につながることは必死である。
 

 断酒会の主な活動内容は、例会、研修会、記念大会、ブロック大会、全国大会等の開催。
 
機関誌、ポスター、パンフレット等の製作。
 
その他、酒害相談活動や酒害啓発活動のための様々な行事等がある。
 

 このうち大半は、会費や参加料等で賄われているが、断酒会は経済的に貧しい組織であるので、会員以外のために使う費用、時には酒害啓発活動に必要とする費用には頭を悩ませている。
 
費用の関係でほとんど行っていない断酒会もある。
 
われわれの奉仕活動にも経済的な限界がある。
 

 そうしたとき、行政の補助金や、断酒会を利用する気の全くない人達の寄付金は、活動を活発にする。
 
自助集団でありながら、補助金、寄付金を受けることを認めている理由である。
 

 補助金、寄付金がなくても、断酒会が経済的な理由で崩壊することはありえない。
 
しかし、われわれはもう少し経済的なゆとりを持つことで、広く社会に酒害の理解を求める活動を拡大することができる。
 




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<コハコベ>
どの声も耳に入らじと飲みし君 体験談に頭殴らる    



10.断酒会は政治・宗教・商業活動に利用されない 





 断酒会は、例会においては体験談に終始するという原則を持っているが、組織運営を討議する理事会、代議員会等では、なんでも自由に討論することができる。
 
ただし、政党、宗派の問題だけは別である。
 

 断酒会にはあらゆる政治思想、信仰を持つ人が入会している。
 
政治思想、信仰は、信奉する人にとっては絶対的ともいえるものであり、そうした議論の中で起こる確執は断酒会の融和、一体性を損なうだけでなく、将来にしこりを残すからである。
 

 また、そうした議論の中でもし意見統一があった場合は、断酒会は政治、宗教に利用される恐れがあり、「断酒会は人間愛に満ちた純粋な奉仕団体である」という、基本理念を捨てることにもなるのである。
 

 確かに断酒会は、政治的に動くことはある。
 
地方行政機関に様々な要請をし、政治的に協力を求める。
 
しかしそれは、地域の酒害者を救済するためのものであり、酒害啓発活動をより効果的にするためのものである。
 
つまり断酒会活動の一環として行っているものである。
 
また、協力を要請する政治家は酒害問題に理解を示す人に限られており、かつ党派を超えたものである。
 

 断酒会は政治的に動いても、政治的に利用されない組織である。
 
選挙等には一切関与しない。
 
また、宗教団体の協力があったとしても、断酒会を布教の場にはさせない。
 
酒害問題は社会全体の問題であり、われわれの活動に協力することは彼らの良識であり、見返りを求めないはずである。
 

 断酒会は財源に乏しいので、活動資金を得るために出版や商品の販売を組織として行うことがある。
 
これは止むを得ぬ手段であるので許される。
 
ただし、酒害問題に直接、間接的に関係のあるものの販売が常識である。
 

 会員個人、もしくは外部の者の利益のために、断酒会の中での商行為は許されない。
 
断酒会の純粋さを侵すだけでなく、会員同志の人間関係の悪化につながるからである。
 




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<コブシ>
例会にしっかり断酒の根を張りて 二本の足で踏ん張り立たん  


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