主人がお酒を飲んでいた頃、そのお酒がだんだん酷くなり肝臓を悪くして入院。
その後も出張や休日明けには会社を休む。
又私がうるさくて家で思うように飲めないので会社帰りに車の中で飲んで帰り、飲酒運転。
車を溝にはめたり、キーを差し込んで無理に回したのか折ってしまったり、その度に夜中でも「迎えに来てほしい」と電話をかけてきます。
そんな毎日の生活の中で初めは大丈夫かと主人の心配をしていたのに、その内に主人に対しての怒りで私の心の中は一杯になっていました。
「あんたと別かれて田舎に帰りたい」と言いながら別れる事もままならず、次には泥酔して寝ている主人の首を絞めようか、庖丁を持ってきて刺してやろうか、と考える様になっていました。
小さい二人の子どもの事を考えるとそんな事も出来ず、いつも飲酒運転をしている主人に「人を巻き込まず自分だけ死んできてー」と言うようになっていました。
昭和五十九年に私が田舎に帰っている時、飲みすぎで具合が悪くなり、同僚の方が救急で成人病センターに運んでくれました。
その時先生が 「こんな人は精神科に行かなあかん」と言っていたと教えてくれました。
その後、大津日赤の精神科に行き「今、こんな人は増えているので、断酒会を紹介してあげる」と言われました。
私は治療して貫えるとすごく期待していたので、その時はがっかりしました。
でも、そのお蔭で断酒会の方に専門病院を教えてもらい入院する事が出来ました。
入院中は外泊の度に飲酒し反省室へ、二度目の反省室から無理やり退院してしまったので、私はとても不安でした。
しかし退院後の主人は会社を定時に終わり、毎日例会に通い日曜日には県外の記念大会にと先輩の方と一緒に参加しました。
会場に着くまでの車中で皆さんと話す事で親しくなれ、会に馴染めたのではと思っています。
断酒会に入会して早二十六年になろうとしています。
沢山の方にお世話になってきましたが、最初のきっかけを作ってくださった成人病センターの先生、大津日赤の先生には「あの頃どうしようもなかった主人、今断酒会で頑張っています。
ありがとうございました」直接言うことはできませんので、この場をおかりして伝えさせて下さい。
そして断酒会の皆様ありがとうございます。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
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