断酒会は、自らの意思によって酒を断とうとする酒害者が連帯してつくった組織である。
断酒会は酒が原因つくられた様々な問題をお互いの信頼関係を通して解決し、新しい人生を創ろうとする酒害者の組織である。
断酒会は、平等な立場で参加した酒害者の主体性によって運営される組織である。
また、酒害者の真の理解者は酒害者であるので、断酒会は自らの断酒のみならず、酒で苦しんでいる地域の酒害者のために何をなすべきかを常に考え、積極的に援助活動をする組織である。
従って、断酒会は酒害者のみによって構成され、あらゆる面での自立を重視する自助集団である。
自助とは自らの努力で自らを救うことであり、自助集団とはそうした人たちが集まり、それぞれの力を結集して、より大きな力を生み出す組織のことである。
その大きな力を生み出す原動力は、何といってもわれわれ酒害者同士の一体感である。
共通の悩みを持ち、断酒新生という共通の目的を持つわれわれは、お互いが酒害者であるがゆえに融合し、ひとつの大きな力となった。
アルコール依存症は不治の病であるという社会の偏見を覆し、現在、数万の酒害者がひたすら回復の道を歩んでいる。
われわれはそのひとつになった大きな力を断酒会と呼び、断酒会があるからこそ個人の断酒があるという、共通した認識を持つようになった。
断酒会をひとつの物質にたとえると、われわれはその物質を構成している一つ一つの分子であるということである。
わが国では明治初年より数多くの断酒グループが誕生している。
しかし、宗教団体や禁酒組織の中の一部門として生まれたものが多く、上部組織の指導や庇護を受けていた。
酒を飲まない禁酒主義者が、酒の乱用を続けた酒害者に酒の恐ろしさを教え、社会から酒を追放することの重要性を説いた。
酒害者は自らが抱えている問題を放棄して、酒があるのが悪いのだと考えるようになった。
これは無責任きわまる問題のすり替えであって、酒害者は自分の内面を洞察する力を失った。
やがて彼らは、短期間の禁酒の後、再び酒に走るようになった。
断酒グループの運営に必要な経費は、すべて禁酒主義者が賄った。
彼らにすれば暖かい援助のつもりであったろうが、酒害者は自立心を養うことができなくなった。
何のために、誰のために断酒するのかわからなくなり、再飲酒を始めた。
酒害者による酒害者のための組織でなかったことが、長い歴史の中で消えて行く結果につながった。
この事実は、酒害者の自立性、主体性の重要さを示している。
昭和三十年代から四十年代へかけて、アルコール依存症の治療に熱心な一部の精神科医たちの協力を得て、多くの断酒会が結成された。
しかし、彼らは元来、非支持的な集団療法によっていたので、われわれに深い理解はあっても支持的、支配的傾向はなく、酒害者による酒害者のための断酒会づくりの妨げにならなかった。
断酒会が現在でも、医療との協力関係を重視する理由である。
また、断酒会は、飲酒文化の中に独自の断酒文化を創ろうとするいまだかつてない目的を持った組織であるので、ときには偏った傾向に走ったり、独善的になる危険も伴っている。
従って、識者の客観的な提言を拒むものではない。
酒害者による酒害者の組織であるので、組織のライン上に酒害者以外を入れることはできないが、彼らを顧問、相談役等のスタッフに加えることは原則を侵すものではない。
断酒会は酒害者の組織であるので、回復の程度によって様々な差が生じる。
したがって、組織の原則に触れる言動のある会員がいたとしても、彼らを非難したり、罰したりしないこともひとつの原則としている。
断酒会は自らを酒害者だと認めた人の組織であるが、認めていない人の入会も歓迎される。
現在認めていないだけで、やがて認めるからである。
断酒会は断酒の意志のない酒害者の入会を受け入れる。
断酒意思が潜在していたり、入会後、それを持つようになるケースが多いからである。
指示的、支配的傾向の強い会員でも非難しない。
ただし、助言はする。
そうした傾向が長く続くと仲間たちの調和を破り、脱落する可能性が強いからである。
自らの断酒のみにこだわって、安定期に入っても酒害相談活動をしない会員には助言する。
同じ酒害者であるという認識がなければ、あるいは、苦しんでいる酒害者を支援するという優しさがなければ、われわれの断酒は行き詰まり、失敗につながる恐れがあるからである。
われわれ酒害者が酒害者のために行動するのは、何も地域で苦しんでいる酒害者だけが対象ではない。
入会しても断酒ができない会員、断酒ができていても人間性の回復が遅れていて様々なトラブルを起こす会員、そうした人達を援助し、助言することも、われわれの大切な役目である。
最後に家族について触れる。
われわれは過去、家族を単に協力者としての視点でしか見ていなかった。
献身的な協力を求めることだけで、家族が追い詰められ、苦しんでいることに気づかなかった。
やがて、アルコール依存症は家族ぐるみの病気であり、家族も酒害者であり、それから回復する必要があるという認識を持つようになった。
酒を飲まない家族でも夫の酒に巻き込まれ、程度の差こそあれ心を病んだ状態の人は意外に多い。
従って、断酒会は家族を酒害者とみなし、組織の一員と考えるようになった。
しかし、アルコール依存症そのものではなく、回復の過程もわれわれとはかなりの差があるので、準会員として組織の一員に加えられている。
そのため、会費等の徴収はなく、また、組織の役員としてライン上に並ぶことはない。
例会にはわれわれと同じように出席し、同じように体験を語っているが、一方では、家族会、婦人部等の別組織をつくって、われわれの病気の理解と協力に関する意見交換だけでなく、それぞれの酒害からの回復を目指している。
家族も酒害者であるという認識をもっと深めて、彼らの回復のためにわれわれは何ができるのかということを、真剣に考えるべきである。
|