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 水 仲 間


 
               小林哲夫(『水仲間』高知県断酒新生会30周年事業記念誌)
  


初めて断酒会に飛び込んだ日の「居場所感」「安堵感」は今でも、いつでも鮮明に蘇ります。
 
あの日、先輩たちは真剣に自分の酒害体験を話してくださいました。
 
あれは、先輩たちの友情であり、最高のもてなしであったのだと思っています。〈酒害者〉
                                                 



 私は港町で成長した人間であり、かつ、海運業者ですので、この半世紀、毎日海ばかり眺めて暮らしています。
 
少年時代より青く澄み、果てしなく広がる海を神聖視し、とりわけ、無限とも思われるその浄化能力には、ただただ驚嘆するばかりでした。
 

 港は汽水域にあります。
 
汽水域とは外洋と河口の中間にある淡水と塩水の混じった場所で、一般的には湾と呼ばれている部分です。
 

 大雨の後、その湾は泥の海と化します。
 
大小6本の川が吐き出す濁水のためです。
 
ところが、雨がやむとたった二日間で、この湾の水は青く澄んでしまうのです。
 
海は吐き出させた濁水を短時間で清め、代わりに、青く澄んだ水を送り返してくれるからです。
 

 断酒会に入会してから、私は断酒会の持つ力を、この海の浄化作用になぞらえて考えるようになりました。
 
長年の飲酒生活で濁りきっていた自分の心が、断酒例会に出席することで、急速に浄められているのに気付いたのです。
 
断酒会は太平洋で、俺はそれにそそぐ濁水のようなものと考えたのは、ごく自然のことでした。
 

 やがて、私という人間を浄めてくれるものは、例会の中にだけあるものではなく、先輩たちとの個々の関わりにもあることが分かりました。
 
過去経験したことのない、お互いが理解しあい、溶け合い、信頼しあう関係が、断酒仲間同士の間にあるのだ。
 
だからその結果として、自分の汚い部分が浄められるのだ、と解釈するようになりました。
 
人間と人間との本当の意味での裸の付き合いが、感動と無縁の生活の長かった自分を、今は深い感動で包んでいるのだ、とも理解しました。
 

 以来、「仲間」とは何なのか、「仲間」であるためには何をすべきか、と真剣に考えるようになりました。
 
そして、「溶け合う仲間」という言葉をどこかで聞いた時、その通りだが、もっと自分にぴったりの言葉はないものか、と考えるようになりました。
 

 ちょうどそのころ、ロバート・ハイラインの「異星の客」というSF小説にめぐり合いました。
 
(ハイラインは今年亡くなったアメリカを代表するSF作家で、「異星の客」はSF小説の原点といわれています)そして、この小説の中に出てくる「水兄弟」という言葉が、私に強い衝撃を与えました。
 

 SF小説ですので、かなり荒唐無稽とも思われる部分があり、この水兄弟という言葉にも、今一つ理解の進まない点もありましたが、意志の媒体となるものが「水」であり、絶対的な信頼のおける相手が「水兄弟」であるというところが、非常に気に入りました。
 
また、ぺったりと凪いだ汽水域の澄んだ水面に、心がゆったりと浮かんでいるというイメージもあったからでしょう。
 

 だから私は、水兄弟の代わりに「水仲間」という言葉を勝手に作って、一人でも多くの断酒会員と、水仲間の関係になろうと考えるようになりました。
 
自分の生活に密着し重要な位置を占める海と、好んで読むSF小説の中からヒントを得て、水仲間なる奇妙な言葉を作ってしまったのですが、私以外の会員たちも自分と仲間達との関係を表す言葉を、多分それぞれに持っているものと思われます。
 

 断酒会員に初めて水仲間を意識したのは、やはり、入会した夜の本部例会場であったと思います。
 
初対面の私に、十年来の知己の様に温かく接してくれた先輩たちを見て、見学のつもりで出席したのに、何の抵抗もなく入会してしまったのが、何よりの証拠だと思います。
 

 自宅で酒を切ったあの辛い三日間、私と同じような辛い顔をして、じっとわたしを見守り続けた支部長のOさんにも、水仲間を感じていました。
 

 例会に出席しても、最初のうちは自分の名前を名乗るのがやっとでしたが、どんな立派な体験発表よりも、「小林です。頑張ります」とだけしか言えなかった私の方が拍手が多かったのも、先輩たちが水仲間であったからだと、後になってしみじみ考えたものです。
 
また、何カ月か名前だけしか言えなかった私が、「今までの私は、酒の為に自分本位な考え方しかできていなかった」と初めてまとまった発表をした時の、万雷のような拍手は今でも耳に残っています。
 
拍手の音に先輩たちの心がこもっていたからでしょう。
 

 入会して一年ほどたってから、先輩たちのまねをして、飲酒時代の酒害体験がやっと話せるようになりました。
 
妻に暴力をふるったこと、借金が払えず電話を差し押さえられたこと、妻から離婚の話が出たこと、幼稚園の運動会に出ることを、幼い息子に拒否されたこと。
 
そして、家族よりは酒の方が大切だと、本気で考えていたこと等を話す度に、自分のことのように深刻に受け止めて、うなだれたまま聞いていた先輩たちは、正に水仲間だったのです。
 

 理解に苦しむような舌足らずの話でも、自分の体験にはまるでない話でも、自分のことのように正確に理解してくれたのは、言葉そのものを聞いているのではなく、言葉の中に込められた心を、何が何でも理解しようと集中していた結果です。
 
これは、彼等が水中間でなければできる事ではありません。
 

 どんなに長く断酒できていても、どんなに立派な人間に変革していても、「同じアルコール依存症だから、そんなに差はないんだよ」と口で言い、態度で表し、心で思っている先輩たちは、全員水仲間であったと思います。
 



 
うぐいす
あの人も我と同じの悩みもつ
 
  仲間と知りて勇気湧きたり
 
 


 しかし一方では、自分の断酒歴を鼻にかけたり、役職を権力と混同している会員もいないわけではありません。
 
彼らの特徴は、自分の酒害体験を話さず、会員達に教訓を垂れます。
 
酒害体験を話している人の言葉尻を捉えて、その間違いを延々と解説したりします。
 
当人は得意なのでしょうが、私には非常に貧しい人間に見えます。
 
断酒歴が長いくせに、まるで断酒会を理解していない不勉強な人間に見えます。
 
そして、そうした人達の最も重大な間違いは、教訓を垂れたり、説教をしたりすることで、自分から仲間であることを拒否していることです。
 

 しかしながら、私にも彼らを非難できない理由があります。
 
数年前の大阪のある研修会で、体験発表の真っ最中に、司会者から注文された事柄とはいえ、延々と断酒会の在り方を説明したことがあります。
 
その直後、私の前に座っていた会員の一人が「あいつは何者だ」と低い声で隣の会員に訪ねているのが聞こえました。
 
私は愕然としました。
 
注文があった事柄でも、自分の酒害体験を通して説明すればこんなことにならなかったのに、ついつい論理性や整合性のことが気になって、かなり理屈っぽく話してしまったのです。
 
そのことが私を会員ではなく、関係者のように思わしたのでしょう。
 
多分、この日この会場にいた会員たちの多くは、私に仲間であることを感じなっかたと思います。
 

 どんな難解なテーマが与えられても、私たち酒害者は、自分の酒害体験を語りながら、そのテーマをこなさなければならないという原則があることを、その時の私は、完全に忘れてしまっていたのです。
 

 最近の急速な価値観の多様化には、時々混乱してしまうことがあります。
 
しかし、二十歳代から七十歳代までという広がりを持ちながら、断酒会の中では一般社会ほどには違和感がありません。
 
断酒会の主たる目的が、年齢を問わず断酒して新しい生き方を創る、ということにあるからでしょう。
 
ですが、これから入会する人たちとの間には、やはり断酒に対する価値観の差があることは明白です。
 

 三十年前に発会して、現在のような発展を遂げた断酒会には、自分の価値観だけにはこだわらず、相手の価値観を理解しようとした心の広さがあります。
 
そうした努力はいつまでも続けたいものですし、また続けなければ、会員同士はとても水仲間にはなれません。
 
仲間たちをどこまで理解できるか、どこまで溶け合えるのか、どこまで信頼できるかが水仲間としての要件ですから。
 

 そして、そうした仲間たちが持つ断酒例会には、必ず強い自浄作用が働きます。
 
全員が自分の酒害体験を率直に語り、全員がそれに耳を傾ける。
 
そして、お互いの酒害体験を共有し、その体験を通して自己洞察を深める。
 
このことが、断酒会でアルコール症が回復する最大の要件であることは、世の中がどんなに変わり、どんな新しい発想が生まれたとしても、絶対変わることない真実であると思います。
 

 海の澄んだ青を見ながら、時には、濁った海が澄んだ海に変えられる有様を見ながら、例会の持つ浄化作用と、水仲間同士の素晴らしい関係を痛感しています。
 


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   断酒会「松村語録」より

       素直な心で話を聞こう
     

                        *松村春繁 全日本断酒連盟初代会長(S38.11設立) 
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