結婚して一年半経った頃、仕事のために或る教習所に四ケ月入所した事がありました。
今、思うとこれを境に、酒の飲み方が大きく変わって行ったようです。
同室の六人は酒好きで話もはずみ、寝付かれぬ時は酒を飲むと言う、言うなれば、毎日飲む習慣か付いた訳です。
我が家に帰ってからも酒屋通いがしげくなり、小遣だけでは酒代が払えず、給料袋を書き替える、期末手当を内緒にして渡さない、他人の名義で金を借りると言う、どう仕様もない人間になって行きました。
職場でも、早くから信用を無くし、昇給はとばされ、後輩達は先を越して行く。
友人も一人去り二人去り、その寂しさとやり切れなさを癒すた めに、あおるような飲み方をして来ました。
駅前で寝たり、川の土手や学校の廊下や、どこででも寝ました。
無届欠勤が始まりました。
女房からの「酒を止めて欲しい」と言う必死の訴えも私の耳に入りません。
遂に給料を持って帰らなくなりました。
女房は「犬畜生でも、自分が生んだ子供を育てるわ!あんたは何よ、何が父親よ!子供をどうして育てる の!」。
「草食わせ!草食わせれば大きくなるわ!」私はどなり返す。
憎しみあって、もはや夫婦ではありません。
女房にしてみれば「このまま死ぬよりも、離婚して子供達と三人で、生きられるだけ生きて野たれ死にしても、その方がましだ」と離婚を決意していたそうです。
私は私で「酒を止められないのは女房のせいだ、早く死んでくれた方がせいせいするわ」そんな事を思っていました。
本当に、酒は人生を狂わせます。
そんな時、私達は断酒会を知り、松村春繁会長と出会う事が出来ました。
「酒は止まります。それには、例会に出席する事です」と言う言葉を信じ、「一日断酒、例会出席」の実践が始まりました。
仕事を終え、飲まないで例会に出席するのはしんどい事でした。
でも、帰りは気持がスカッとしています。
すごい飲み方をしていた人、ひどい生き方をしていた人、驚いたり、あきれたり。
でも「酒を止めているから偉いなあ」と感心しました。
その内、自分も同じように、ひどい事をして来たのに気付かされました。
その時、ふり返ってみると、何ヶ月も酒が止まっていました。
びっくりしました。
或る研修会で、女房の体験談のすぐあとに指名された事がありました。
私は発言の途中で泣けて泣けて話せなくなったのを、今も覚えています。
それは、子供の貯金箱を壊してまで酒を飲んで来た、だらしない父親だった私の姿と、「クリスマスの夜、サンタのおじいさんが何をプレゼントしてくれるかなあ」と言いながら枕もとに靴下を並べて寝た子供達の姿と、それを見ながら何も買ってやれなかった切ない思いの母親の姿とが重なって、おいおい泣いてしまったのです。
飲んでいた間だけではありません。
止めて行く時にも「幼い子供達を残して例会に出席するのは、辛く忍びがたい事でした。
本当は一緒にいてやりたい。
しかし、二人で出席しなければ私達の家庭に幸せが来ないとしたら、隣近所の人達から薄情者と呼ばれようと出席して来ました」と言う母親として辛い思いの女房の姿と、必死になって留守番しているあどけない子供達の寂しそうな顔が浮かんで来て、私は耐えきれずに泣きました。
「もう酒を飲まん」この時ほど心に固く誓った事はありませんでした。
断酒を決意しても、継続は簡単ではありませんでした。
酒に代わるものを求めていると空しさが残るだけです。
仲間や家族と共に、例会に必ず出席し、研修会に参加して酒を断つ。
今日一日を大事に生きると、人生が変わります。
幸せです。
感謝です。
頑張ります。
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