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断酒に卒業なし
(故人)新阿武山病院理事長 今道裕之(全断連顧問)
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「断酒の道ははるかに遠い、しかし、その道はすぐそこにある。
それは今日一日断酒することである」(断酒寸言集『山びこ』)
断酒会入会の資格はただ一つ、その人が「酒をやめたい」と願っているということです。
だから、入会を希望する人のすべてがアルコール依存症者であると決め付けることはできないでしょうが、「酒をやめたい」と思っている人は、酒によって何らかの害を経験したり、感じたりしている人たちでしょうから、断酒会では会員のことを一般に、「酒害者」と呼んでいます。
医学的にみて、酒害者がすべてアルコール依存症の患者さんであるとは断言できませんが、実際にはそのほとんどの人がその病人であると言ってもよいでしょう。
そこで、アルコール依存症という病気の特徴をいくつか挙げてみたいと思います。
まず、この病気の経過は非常に長く、しかも慢性的に徐々に進行して行き、最後には、死に至るという病であるということです。
病気の進行の段階をその飲酒様式から見ますと、表のように、まず 酒の飲みはじめは、何かの飲酒の機会があるときだけ ―例えば宴会とかコンパとか、試験や仕事が一段落したとき―に飲むという時期があり、これは普通学生時代か、卒業後数年間、つまり二十代前半の頃の飲み方でしょう。
[アルコール依存症の進行過程]
機会飲酒(20代前半)→習慣飲酒(20代後半)→精神依存(30代前半)↓
身体合併症(30代)
→身体依存(離脱症状)(40歳前後)→死亡(50代前半)
次に 習慣飲酒の時期 に入ります。
社会人になり、あるいは結婚生活に入って、仕事の帰りに毎日一杯ひっかけるとか、家庭内で晩酌の習慣が生まれるようになります。
また、仕事の関係で飲む機会も増え、毎日のように飲酒するのがごく当たり前の生活になります。
このような飲酒習慣は、普通二十代後半にはじまり、耐性ができるようになって飲酒量は次第に増えていきます。
普通はこの段階が高齢になるまで続くのですが、時には何らかのきっかけで、次の精神依存の段階 に入っていきます。
妻子の死とか、仕事上のストレス、会社の倒産など、不幸な出来事がそのきっかけとなることもありますし、酒量の増加が、いつの間にか精神依存へと変化させていく場合もあります。
心は次第に酒にとらわれるようになり、日常生活の中で飲酒が最大の関心事となって、些細な理由で飲酒に走ったり、仕事中に同僚の目を盗んで、また、妻に分からないようにいかにして一杯飲むかに、終日頭をわずらわせるようになります。
こうなるともう健康な飲酒とは言えません。
飲酒量の増加は、やがて身体依存を形成 していきます。
酒が切れかかってくると、手やからだが震えてきたり、動悸が激しくなり、寝汗をかいたり、全身の強い脱力感に苦しんだり、食欲はなくなり、食物はのどを通らなくなり、食べても吐いてしまい、ひどい下痢が続き、脱水症状や栄養障害に陥ります。
精神的にも不安がつのり、神経過敏になっていらいらし、夜も眠れなくなります。
これが離脱症状(禁断症状)と言われるものですが、このときに一杯ひっかけると症状は軽減してからだが楽になります。
こうなると麻薬中毒と同じですから、からだの苦しみを取り除くために、どうしても次の酒が必要になります。
飲酒に対する抑制力が働かなくなり―この点がまさに「病気」であり、一般に思われているような意志の問題とは無関係です、常に一定量以上のアルコール血中濃度を保っておかなければ、からだがもたなくなってしまいます。
さらにひどくなると、けいれん発作を起こしたり、幻覚が現れ、救急病院や精神科にかつぎこまれることになります。
治療によりいったん症状はよくなり、しばらく酒はやめますが、何かのきっかけで少しでも飲酒すると、たちまち酒量抑制能力が失われ、数ヶ月も経たないうちに、また離脱症状に襲われることになります。
こんな状態を繰り返しているうちに病気はどんどん進行し、ついには肝硬変などの合併症のために死亡します。
死亡年齢の平均は五十数歳だといわれていますから、非常に寿命が短い早死にする病気です。
このようにこの病気の経過をみていきますと、それが慢性進行性で、ついには死に至る病であることがよく理解できますが、きわめて長期にわたって徐々に進行するので、発病に気づきにくいということが言えます。
<うぐいす>
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この病気の次の特徴は、かならずからだの合併症を伴っているということです。
長年の飲酒は、肝臓をはじめ胃、膵臓などの消化器を侵していきますし、末期には脳をはじめ全身の神経がやられてしまいます。
肝障害は末期には肝硬変になり、食道静脈瘤の破裂や肝性昏睡によって死亡します。
アルコール依存症の中でも最も多い死亡原因は肝硬変によるものです。
一般に肝硬変に比べると、神経疾患はアルコールとあまり関係がないように思われていますが、実際にはほとんどの患者さんが、アルコールによって多少とも神経が障害されています。
重症になると、脳萎縮、アルコール性痴呆、ウェルニッケ脳症、コルサコフ症候、小脳変性、神経炎などの合併症のために呆け症状が出たり、手足などの運動、感覚障害が起こり、自立した社会生活はできなくなります。
このような病状の経過から、少し大胆な言い方をすれば、身体依存の状態になってもなお完全断酒をしないのなら、数年以内に死亡するか呆けてしまうか、いずれかの結果になることは明かだと言えます。
最後に、この病気の特徴として最も重要なことは、病気の本体が飲酒を抑制できない点にあるということです。
長年の飲酒の結果、なぜ飲酒を抑制する能力が失われるのかといえば、その原因はアルコールという薬物そのものの性質にあり、長年の飲酒が依存性を形成し、次第に離脱症状が出現しやすくなり、その身体的苦痛をやわらげるために、どうしても次の一杯を飲まずにはおれなくなるのです。
だから、病気になってしまうと、もはや楽しい酒を飲むことはできなくなり、ただただ身体的苦痛をやわらげるために、心身の苦痛を伴いながら飲酒します。
この点がまさしく病気としての飲酒で、一般の人々にはなかなか理解してもらえず、意志が弱いからだとか、だらしがないからだと誤解されるゆえんです。
ところで、この病気の治療法は、ということになりますが、いったん酒を口にするとたちまち飲酒量をコントロールする能力を失い、泥酔状態になるまで酒に飲まれてしまうわけですから、最初の一杯を口にしないようにしなければなりません。
そして、この病は何年間断酒を続けていても、いったん飲酒を再開すると、たちまちの間(普通3ヶ月以内)に元のコントロール不能の状態に陥ることになりますので、生涯酒をやめ続けていくことしか治療法はないのです。
残念ながら、今の医学では、身体依存にまで発展した体質を元に戻すような治療はありません。
これまで「酒なしでは生きられない」と思い込んでいた人たちが、生涯酒なしで生きていくなんてことは、到底考えられないことでしょう。
しかし、それを実証している断酒会の仲間が多勢います。
同じ酒害者のできていることが、自分にできないはずはありません。
生涯断酒というような、気の遠くなるようなことを考える必要はありません。
断酒会の知恵は「一日断酒」という素晴らしい格言を生み出しました。
明日のことは分からない。
しかし、今日一日酒を飲まないでいることなら、どんな人でも実行できる。
そして、明日が来ればまた、「今日一日だけ酒を飲まないで過ごそう」と決心する。
こうして、明日のことを思い煩うことなく、今日一日だけ断酒して充実した生活を送り、そのような一日一日を積み上げていこうというのです。
このような生き方には、人生の真理に通じるところがあります。
起こるかどうか分からないような未来の事柄を思い悩んで、今日一日、現在を暗く不安な気持ちで無意味に過ごしてしまうのはノイローゼの特徴です。
現代人のほとんどは多少ともノイローゼの状態にあり、今日一日を不安の中で無意味に過ごしており、その不安から逃れるために、刹那的な遊びにわれを忘れようとしていると言っても、決して間違いではないでしょう。
「一日断酒」の深い意味を悟るとき、酒害者はむしろこの病気になってはじめて、真に意味のある人生を発見することができた無上の悦びを、実感することができるようです。
アルコール依存症は、死に至る恐ろしい慢性疾患であるがゆえに、一日断酒を積み上げ、例会に通い続ける努力をしていかなければなりません。
ただの一瞬も気を許すことなく、自己と闘い続けていかねばなりません。
十年断酒しても、二十年断酒しても、飲酒への欲望は思いがけなく現れ、酒害者の心を揺り動かします。
「断酒に卒業なし」―これも松村語録の一つです。
もし卒業があれば、この病気の価値は半減してしまうでしょう。
生涯断酒を実行し通す努力から、断酒会員は人生の奥義をつかみとっていきます。
アルコール依存症という病気は、ほかの癌や難病と同様に、病が難病であればあるほど、人生の深い意味を悟らせてくれるものであることを教えてくれます。
病むことは苦しみを伴うものですが、私たち人間はその苦悩の中から、真の希望を生み出す力をもっていることを教えられます。
断酒会「松村語録」より
断酒に卒業なし
*松村春繁 全日本断酒連盟初代会長(S38.11設立)
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