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 こ だ わ る  、 こ だ わ ら な い


 
              小林哲夫(『水仲間』高知県断酒新生会30周年事業記念誌)
  

『酒害体験にこだわり、酒と自分の関係を見つめ続けると、やがて負の体験が正の中の正になる。
 
  酒害体験に負い目を持ち、それを距離を置いて冷めた目で見ることが出来るようになると、
 
   負い目が逆に人生を作ってくれる。』〈小林哲夫先生〉

     大先輩がビデオで、こう語りかけられたとき、ためらうことなく信じました。
 
    それ以来、羅針盤となりました。〈酒害者〉
                                                 


 私が松村春繁初代全日本断酒連盟会長から得た最大の教訓は、「こだわるべきことには徹底的にこだわり、こだわってはいけないことは、さらりと忘れてしまう」ということです。
 
そのことについて、順を追って書いてみたいと思っています。
 


 こだわるべき事の中で最も大切なものは、なんといっても自分の酒害体験です。
 
なぜなら、アルコール依存症者と酒の本質的な関係は、酒害の為に、メタメタの生活をしていた過去の体験の中に、はっきりと具現されているからです。
 
飲酒時代、一体自分はどんな飲み方をしていたのだろう。
 
どんなひどいことをしたのだろう。
 
どうしてそんなことになったのだろうか、と過去にこだわって当時の記憶を掘り起こすことで、酒と自分との関係の全容が現れてきます。
 
言い換えれば、アルコール依存症という病気がどんな病気であるのかが判るのです。
 
この事実に気づいた松村会長は、「例会は体験発表に始まり体験発表に終わる」という言葉を使って、酒害体験を重視し、酒害体験にこだわりながら、しかもその体験を糧として、新しい人生を創る方法を明らかにしたのです。
 

 一般的に「こだわる」という言葉は嫌われ、「こだわりを捨てる」という言葉が好まれる傾向があります。
 
こだわる人間は陰険なやつだと敬遠され、こだわらない人間は度量の広い人間として歓迎されます。
 
しかし、それはこだわるべき対象が問題であるのに、そのことを忘れ、また軽視する風潮がそう考えさすだけのことです。
 

 こだわるとは、何時までもそのことばかりを気にすることです。
 
このことから、変にいじいじした人間が連想されます。
 
従って、「小事にこだわって、大事を忘れる」という慣用語まであるのです。
 
しかし、私たちは過去にこだわって、自分の酒害の本質を自分の力で解明するのですから、自分の酒害体験にはいつまでも心を廻らせるべきです。
 
また、酒害体験は私たちには小事ではなく大事ですので、断酒会では『大事にこだわって、小事を忘れる』という言葉が必要だと思います。
 

 私たち酒害者は、自分の酒害体験にこだわることによってアルコール依存症の恐ろしさを理解しました。
 
また、この病気によって引き起こされた人格の荒廃、人間性の低下を認めることが出来ました。
 
このことは現実に、断酒会三十年の歴史の中で証明され続けているのです。
 
自分の酒害体験を語り続けている人のみが、断酒がずっと継続されているともいえます。
 
だから、酒害体験は私たちにとって、こだわらなければならない大事であることに間違いありません。
 
酒害体験にこだわることと、酒そのものにこだわることは全く別のものなのです。
 


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<梅>
今日も又「己の行」と言い聞かせ
 
  遠き他支部へ車走らす
 
 


 松村会長は断酒会結成前、たった一人で一年半断酒していましたが、それが可能であった最大の理由が、自分の酒害体験にこだわっていたことにあります。
 
松村会長はそのこだわりを、大学ノートに延々と書き綴りました。
 
周囲の人達を強烈に巻き込んだ凄まじい酒の事を、具体的に詳細に書き進むうちに、深い懺悔の心が湧き、それによって自分自身が清められていくのに気づきました。
 

 一人だけで断酒する事は大変なことです。
 
時にはそうした人がいないわけではありませんが、誰一人として語りかける者はおらず、まして、当人の真意を理解してくれる者がいる筈はありません。
 
断酒することによって孤立し、段々と頑なになっていくのは仕方のないことです。
 
にもかかわらず、一人だけの断酒の中でそうした傾向に松村会長が陥らなかったのは、自分の酒害体験にこだわり、そのこだわりをノートに書き続け、自分で自分に語り続けていたためでしょう。
 
現在の断酒例会が先輩会員の指導やお説教によるものでなく、全会員の体験発表に終始していることの原点に、松村会長がノートにひたすら書き綴った、酒害体験への強いこだわりがあるのです。
 


 同じ町内に住んでいたため、松村会長は入会したばかりの私の車に乗って、よく例会に一緒に出席しました。
 
道中の話題は勿論、過去の酒害体験が主でしたが、驚いたことに松村会長は、酒の為に迷惑をかけた人々に、深すぎるほどの罪の意識を引き摺っていたのです。
 
からっとした性格で、済んだ事などくよくよ考えるタイプの人ではなかったのに、ことが過去の酒にかかわる問題となると、しつこくこだわっていたのです。
 

「わしは酒を飲むと、どんなひどいことでも平気でやれる人間になるんだ」と繰り返し言っていました。
 
また、泥沼のような暮らしの中で再婚して、酒を止める事が出来て、孫のような娘に恵まれて、幸せいっぱいの生活が続いても、その昔、酒の為に去って行った妻子に対する罪悪感は根強く、「たとえ許してくれていたとしても、わしは一生十字架を背負って生きていかねばならんのだ」としみじみ言っていました。
 

 そういう考え方は明治生まれの人の価値観で、俺の様な若い者には、済んだ事は済んだ事できれいさっぱり忘れる方が、断酒するためにはずっと良いことだ、と私は考えましたが、それから何回となく失敗を繰り返し、やっと断酒ができるようになって、段々と松村会長の考え方が理解できるようになりました。
 

 それは、現在を確実に生き、より良い自分を将来に向かって創っていくためには、すばらしかった過去は忘れても、無残な過去は絶対に捨ててはいけないということです。
 
断酒して自分を変えていくためには、過去の栄光や人間としての長所より、劣悪な過去の状態や自分の短所の方がずっと大切だ、と分かるようになったことにあります。
 
改善するということは欠点を直すことであり、変革に必要な自己洞察力は、自分の嫌な部分を直視することによって養われるのです。
 
そのことが松村会長の酒害体験にこだわる姿勢から理解できたのです。
 
そして、分かり切った発想ですが、酒を飲んでいてはそれらが不可能であり、断酒を継続するためには、過去の自分の酒害をじっくり見据えて、酒の恐ろしさを肝に銘じなければならないのです。
 
また、自分の数少ない長所も、松村会長の助言で尊重はしました。
 
あまり欠点ばかり見つめていると、当時の私としましては、自己否定につながる恐れもあったからです。
 


「真夏の真っ昼間、たった一杯の焼酎代をつくるために、ネズミにかじられた古いむろぶたを何枚も背負って、あちこちの質屋を廻ったことがある。
 
あの苦しさと暑さは今でも忘れられないが、頭の中にあったものは焼酎の事だけで、その他の事は何も考えていなかったね。
 
ひどいもんだと思う」
 
「当時のわしの家には、家財道具などほとんどなかったよ。
 
焼酎代に化けていたからね。
 
何もない家で、人間の心を失っていたわしが、どうして人間並みの暮らしができるものかね。
 
何もない家の中で、何か質草になるものはないかとウロウロしている。
 
そんな毎日だったよ」
 
「落ちる処まで落ちて、それから先は死ねばよい。
 
それがわしの人生観の全てだったよ」
 
松村会長はそんな話をとつとつと私に話してくれました。
 
そして、「どう生きるかなどとは考えたこともない。
 
死ぬことすら恐ろしくない。
 
酒が人生のすべてだったよ」で話が終わるのが常でした。
 

 若くて内臓疾患のなかった私は、失敗が繰り返されても、身体の死を考えたことがありませんでした。
 
しかし、断酒が続くようになって、人間として最も恐ろしいものは、人間らしい心が死んでしまっていることだと、こうした松村会長との会話から教えられました。
 
やっと私の心の中で目覚めるものがあったのです。
 
そしてそれが、自分の人間としての在り方にこだわることにつながったのです。
 


 また松村会長は、すべての酒害者に徹底的にこだわっていました。
 
断酒会員は勿論のことですが、未組織の全国の酒害者の事も常に念頭に置いていたのです。
 
どうしたら断酒会を知ってもらえるのか、どうしたら断酒会につなぐことができるのか、といつも考え続けていたのです。
 

 貧乏のどん底の中で始めた全国行脚が、その大きな表れの一つです。
 
門前払いを覚悟の上で、アル症の入院している病院ならどこへでも出掛けました。
 
成果が上がらなくても、しつこく訪ね続けました。
 
また断酒のためなら別に断酒会員でなくても積極的に援助しました。
 
排酒会、廃酒会、禁酒会等のメンバーでも、当人が酒害者であればどんな相談にも乗っていました。
 
酒を止められない会員の多いある排酒会の為に、無理に旅費を作って相談に出向いたこともあります。
 

 断酒会活動の中の大きな柱の一つに酒害相談活動がありますが、松村会長や当時の先輩会員達の、信じられないような積極的な姿勢を思い出すたび、自分ももっと未組織の酒害者にこだわるべきだと、と反省しています。
 

 酒をどうしてもやめられない断酒会員に対するこだわり方も、かなり強烈なものでした。
 
断酒に成功した会員がどんなおかしなことを考え、どんな馬鹿馬鹿しい発言をしても「各人各様、そのうち分かる」と言って、別に気にする様子もなかったのですが、努力しているのに断酒できない会員に対するこだわり方は、見事と言うしかありませんでした。
 


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 全日本断酒連盟が創設された昭和38年から翌39年にかけて、高知県断酒新生会には多数の新入会者がありました。
 
こうした特筆するような出来事のあった年は、断酒会全体に活力が溢れているものですから、断酒成功率も非常に高いのです。
 
しかし、Nという新入会員は、過去のどの会員に比べても負けない、どうしようもない手の焼ける会員でした。
 

 Nは失敗の連続でした。
 
いや、毎日のように飲んでいましたので、失敗という言葉は適当ではありません。
 
しかし、どうしたわけか、例会にだけは熱心に出席していました。
 
そして、体験発表の順番が回ってくると、
 
「今日もまた飲んでしまいました。どうもすみません。明日から頑張りますので許してください」
 
と同じ言葉を繰り返すだけでした。
 

 例会のない夜は松村会長の家を訪れ、
 
「会長、今日もまた飲みました。どうもすみません。明日から頑張りますので許してください」
 
と同じ言葉を使い、優しく励ます松村会長に感動して、時には悔悟の涙を流していました。
 
松村会長はこうしたNを見て、とにかく例会に出席しているし、嘘はついていないし、自分のやっていることは反省しているから、いずれ断酒できるだろう、と期待していました。
 
しかし、同じ状態が何と三年近くも続いたのです。
 

 Nは最初のうちは、本気で自分の失敗を反省していました。
 
例会に出席して事実を述べることで、何とか他の会員のような本物の断酒をしたいと願っていたのです。
 
しかし、同じことを繰り返しているうちにだんだんと柄が悪くなり、例会に出席さえしていれば、何とか入院しなくてもよい程度の酒が飲めるのだ、と考えるようになってしまったのです。
 
つまり、例会を酒の量の抑止力にしようとして成功していたのです。
 

 従って、例会のない日に松村会長の家に行ったのも、会長に謝罪し、また会長に励まされることによって、例会のない日に大崩にならない段取りをしていたのです。
 
稀に酒を飲まずに例会に出席したこともありましたが、そうした日には帰路、必ず飲んでいました。
 
朝から一滴も飲まず会長を訪れ、涙を流さんばかりに喜んでくれている会長の顔を見た直後、ポケットに忍ばせたウィスキーを飲みながら、家に帰っていたのです。
 

 松村会長は会員を叱ったりしたことはありません。叱責や説教の無意味さを知っていたからです。
 
しかし、Nが延々と繰り返している愚かな行為に耐え切れなくなって、やっとある決断をしました。
 
Nの奥さんには、「これからはもっともっと例会に連れて行ってください」と頼む一方で、当人のNには、「お前のような人間は、生きている間は絶対断酒できないから、この際、家族の為に死んでやったらどうかね」と、信じられないような無慈悲な言葉を投げつけたのです。
 

 Nは茫然としました。
 
まさかこの会長が、こんなひどいことを言うとは、と信じられなかったようです。
 
それだけに会長のこの言葉は、Nのほとんど眠ってしまっていた人間性に強烈なインパクトを与えたのです。
 
こんな優しい人から、こんなひどいことを言われるような人間に、俺もとうとうなってしまったのか、という反省と、この人にもとうとう見捨てられてしまった、という不安です。
 
Nの断酒成功にこだわり続けてきた松村会長の考えに考えた末の英知に充ちた発言は、ずばり成功したのです。
 
その日からNは目覚め、本気で断酒に取り組むようになったからです。
 

 Nは真剣に頑張りましたが、スパッと酒が切れたわけではありませんでした。
 
数日奥歯をかみしめて我慢はしても、つい一杯飲んでしまうということが数カ月続きました。
 
そうした時期、松村会長は例会の中でNを褒め続けたのです。
 
時々失敗する会員を褒めるのは少し筋違いでは、と考える会員も居ましたが、だからこそ褒めあげて、断酒を継続させようとしているのだ、と会長の真意を理解している会員が多かったのです。
 
会長がNにこだわり続けることの訳を、彼らはよく知っていたのです。
 

 Nが完全に断酒できるようになって3か月後、松村会長は高知県断酒新生会の理事会に、Nの努力を表彰してやってほしいと提案しました。
 
この提案はすんなり通り、入会して三年もたっているのにたった三カ月しか断酒できていないNが、三年余りきっちり断酒できている同期の会員たちを尻目に、とうとう表彰されてしまったのです。
 

 同期の一部の会員には、会長の依怙贔屓だという不満があったようですが、ほとんどの会員は、Nに対する会長の誠意溢れるおだてを完全に理解していました。
 
だから、不満を持つ会員に、「会長は君たちを全面的に信頼しているから、君たちに気を使っていないだけのことだ」と説得したそうです。
 

 松村会長が徹底的にこだわったものはたくさんありましたが、そのことの意味を、私は今でもしつこく考え続けています。
 


 松村会長がほとんどこだわっていなかった者に、断酒歴と肩書きがあります。
 
断酒歴については、「長く断酒が出来ているからには、それなりの値打ちはあるものだ」と評価はしていましたが、だからといって、古い会員が自分の断酒歴にこだわり、断酒歴の短い会員にあれこれと教訓を垂れることを、極端に嫌っていました。
 
「断酒会に先生はいない。強いて言うなればそれは、新入会員である」という言葉で、ともすれば断酒歴に箔をつけたがる古い会員を戒めていました。
 

 肩書についても同様で、断酒会は日本人になじみやすい縦割り組織を持っているのに、会長、副会長、事務局長等の役職を名誉や権力に結び付けて考えることは、絶対にありませんでした。
 
断酒会の特殊性を強調し、社会一般に或る縦割り組織とは、はっきり区別して考えていました。
 
だから、会長と世話人代表は同義語であり、その他の役職についても、その人の持つ能力で役割を分担すべきだ、と考えていました。
 

 断酒歴や肩書にこだわらなかった松村会長や、初期の断酒会員の柔軟な発想は、本当に素晴らしいものでした。
 
そして、現在の断酒会が抱えている一番難しい問題が人事問題であることを考えると、やはり松村方式の原点に還る必要を痛感します。
 

 断酒会は「大事にこだわって、小事を忘れる会」です。
 
「小事にこだわって、大事を忘れれる会」にならないように、お互いが気を付けるべきだと思います。
 
 


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   断酒会「松村語録」より

       断酒優先をいつも考えよう
     

                        *松村春繁 全日本断酒連盟初代会長(S38.11設立) 
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